●ABOUT文芸特殊研究1カテゴリー
「文芸学科 授業レポート」のカテゴリ「文芸特殊研究1」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。
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2004年12月06日
水口哲也先生 ~感動という現象について考えてみよう~
スクリーンに子供たちの賑やかな様子が映しだされる。机が並んだ小学校の教室は、どことなく懐かしさを誘う。その教室に向かって廊下を歩いているのは、水口先生だ。NHK『課外授業 ようこそ先輩』(2003年10月12日放送分)に、先生が出演している。そのビデオを学生達が観ているところである。
筆者はこの番組を観るのは初めてなのだが、題名から察するに、「各界で活躍している著名人が母校を訪れ、自分の専門分野にまつわることを分かり易く教える」ということらしい。番組の冒頭で、水口先生がインタビュアーに語っている場面がある。
「ゲームそのものよりも、子供たちには未来を想像させたい」
未来をつくってきたのは人間の欲望や欲求だ。だから未来を考える第一歩は、自分の欲求をはっきりさせることなのだ、と。
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日時: 2004年12月06日 11:53 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年11月19日
しりあがり寿先生~今の世の中を自分なりにどう分析するか~
しりあがり寿先生 二回目(10/7)、三回目(10/29)の講義内容
前回、授業の最後にアンケート用紙を配布した。今回はその集計結果の発表から講義が始まった。ちなみに、アンケートの詰問事項は以下の通りである。
Q1 マンガ家になりたいですか?
Q2 好きなマンガ家は?
Q3 好きなマンガ作品は?
Q4 好きなマンガ雑誌は?
Q5 マンガ以外で好きな作品、作家などは?
Q6 最近実際に買ったマンガ単行本は?

結果をざっとならべてみよう。
マンガ家になりたいと答えた人は25人、なりたくないは116人、どちらとも言えないは8人だった。文芸学科であるから、マンガ家志望は少ないのだろう。
好きなマンガ家で一番多くあがった名前は、浦沢直樹だった。2位が矢沢あい、次いで手塚治虫、さくらももこ、古屋実など、ポピュラーな作家名が並ぶ。
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日時: 2004年11月19日 15:43 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年10月29日
水口哲也先生 第二回講義

ゲーム好きの方なら、少し前に発売された「Rez」というシューティングゲームをご存じだろうか。シューティングゲームとは、目の前にパッと現れたものをかたっぱしから撃って得点にしていくゲームである。人間の反射神経という、極めてプリミティブな本能をデザインしたつくりで、根強い人気を保っている。
「Rez」は、SEGAが構想から完成までおよそ3年を費やしたアート性の高いゲームである。アメリカよりヨーロッパで売れたという事実も、「Rez」の特性を表わしているかもしれない。
プロジェクトの中心人物は、水口先生である。ぎりぎりまで妥協を排しつつ、完成まで10人あまりのスタッフを引っぱり続けてきた苦労は、相当なものだったという。
反射神経を満たすだけでは物足りない、というのが出発点だった。何か他の要素をプラスした、新しいゲームにしたい。ヒントはケニアにあった。ケニア人の間でよくするというゲームの映像を見せてもらった。若者たちのグループが酔っぱらったように歌い踊っている。
日時: 2004年10月29日 11:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年10月22日
水口哲也先生 第一回講義
10/14 水口哲也先生 講義内容
前回までのしりあがり先生はしばらくお休み。今回と次回は、ゲームクリエーターとして活躍されている水口哲也先生をゲストに迎える。

水口先生は1990年に文芸学科を卒業、ゲーム会社SEGAに入社した。13年勤続し、多くの重要なプロジェクトに関わっていくなかで、独自の理論を固めてきた。去年から独立し、ますます多忙な日々を送られている。
在学中は、メディア美学を中心に学んだ。それをゲームの演出論や製作論に展開していったという。
「メディア美学のなかで、ひとつ忘れられない言葉に遭ったんです。これまでの僕の活動の基本にもなっているんですが」
日時: 2004年10月22日 17:35 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年10月14日
しりあがり寿先生 第一回講義

「こういう形での講義は初めてなので・・・」
大勢の学生の前で、やや緊張気味のしりあがり先生。自己紹介から始めますね、と黒板に向き直る。チョークを手にするやいなや、目にもとまらぬ速さで素描する。あっという間に、鉄腕アトムやウルトラQが黒板に踊っていた。
1958年、静岡に生まれた。幼稚園の頃に鉄腕アトムが、小学2年のときにウルトラQが世に出る。ほどなく怪獣ブームとなり、ウルトラマンやバルタン星人が日本中の子供たちを魅了した。70年には大阪万博が開催。同じ年にビートルズが解散したのも、当時12歳だった先生には大きな事件だったらしい。
日時: 2004年10月14日 11:33 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年08月03日
CMプランナー野澤友宏氏

ホストは湯山先生。授業内ゲストは新進気鋭のCMプランナー、コピーライターとして活躍されている(2002年度、TCC新人賞受賞)電通の野澤友宏氏。まず、野澤氏の手がけたCMを集めたビデオを全員で観る。マツモトキヨシ「現金ポイントカード篇」、オロナインH軟膏「傷だらけの青春篇」(大塚製薬)、風水彩香「新芳香剤 金運/厄除け開運篇」
(白元)どれも頻繁にオンエアされているCMである。どの作品も基調にそこはかとないユーモアがある。また、同時に懐かしさを感じさせる映像の作りがなされている。
日時: 2004年08月03日 01:33 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年07月27日
飯沢耕太郎氏 ~デジグラフィとは何か~

前期の授業もいよいよ今日で最終回。飯沢先生の講義も今回で終了とあってか、教室はいつにもまして満席状態である。席がなく、立ったままノートをとる学生もいた。
「これまではアナログカメラの写真と写真家について講義をしてきました。でも皆さんご存知のように、ここ数年、フォトグラフィの世界に大きな変化が起こっているんですね」
いわゆるデジカメの普及である。写真に限らず、映画など映像表現全般にいえることだが、デジタル化の波が急激に押し寄せているのだ。思えば、カメラ付き携帯電話の登場からわずか3年余りしか経っていない。にもかかわらず、ケイタイを片手で固定し写真を撮るあのポーズは街ですっかりお馴染みになった。 2002年にはデジタルカメラの出荷量がアナログカメラを上回っている。当然の流れとして、デジタルカメラを愛用する若い写真家が増え、印画紙のかわりにパソコンの画面上で作品を発表するアーティストも出てきた。
日時: 2004年07月27日 13:11 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年07月08日
森山大道その2 ~写真とは光の化石である~

前回に引き続き、写真家森山大道の仕事を紹介する。飯沢先生が持参して来られたビデオ「NHK 新日曜美術館 写真とは光と時の化石である/写真家・森山大道」(2003年3月9日放映)を観た。この授業は受講者が多く、教室は満席状態である。写真に詳しい学生もそうでない学生も、皆熱心にビデオを観ていた。
森山を追いかけたドキュメンタリー作品は、ほかに「≒森山大道」(藤井健次郎監督2002年 DVD)がある。こちらも興味深い。
本題に入る前にひとつ。前回は飯沢先生の講義をもとに森山について長々と書いてしまった。先生の話術の巧みさもあり、私なりに森山の人となりや写真を勝手にイメージしていた。しかし、百聞は一見にしかず。実際に彼の立ち振る舞いや作品を目の当たりにし、私の中のイメージは少々変更を余儀なくされたことを付け加えておく。
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日時: 2004年07月08日 15:01 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年07月02日
森山大道 ~原記憶の不安~

今回は日本を代表する写真家の一人、森山大道である。本日は、飯沢先生による講義。次回は作品のスライド上映を行う。
本名は「ひろみち」と読むらしい。少し変わった名前は、禅の「大道無門」という文句に由来する。森山の生い立ちもまた、アーティストに相応しく少々異彩を放っている。
1938年、大阪府池田町生まれ。父親の仕事の都合により、中学を卒業するまで各地を点々とする不安定な生活が続いた。少年時代の居場所が定まらない不安感、宙づりの感覚は、彼の感受性にしっかり刻み込まれ、のちに写真家森山大道の核となっていく。もう一つ、森山の作風を決定づけたと思われる要因がある。双子の兄の存在(現実には不在)である。大道には一道という双子の兄がいたのだが、生まれてすぐ亡くなったという。飯沢先生によると、双子の片割れの写真家というのは案外多いそうだ。例えば土田ヒロミ。彼は妻の横に双子の兄を置き、兄の妻の横に自分を置くという、双子ならではのユニークな作品を発表したことで知られている。土田の作品には、もう一人の自分が実在することの自己存在の揺らぎや、その不安を茶化すユーモアが感じられる。それは双子特有のメンタリティというものかもしれない。「森山の作品にも、失われた分身を求めているような感じがあります。ホルマリン漬けの双子の胎児を撮影した写真は有名ですね」と飯沢先生。死に別れた片割れの影は、生き残った者の内部に少なからぬ影響を及ぼしているのだろうか。
日時: 2004年07月02日 10:23 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年06月24日
中平卓馬 ~記憶喪失からの再生~
今回は、中平卓馬という写真家と、その作品について、スライド上映をまじえて講義が行われた。
昨年の晩秋、横浜美術館において開催された中平の回顧展は記憶に新しい。タイトルは「原点復帰―横浜」であった。
中平は1938年、東京の原宿に生まれた。少年時代は神奈川県(横浜を含む)と原宿を往復するような生活を送った。「原点復帰」というタイトルは、文字どおり横浜が少年時代を過ごした土地であるという意味と、そしてもう一つ、記憶喪失という事故により消えかけた写真家の、新たなスタートを宣言しているかのようだ。
日時: 2004年06月24日 16:57 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年06月03日
写真集はポータブルなタイムカプセル
今回のテーマは「写真集」である。
写真家が写真集を出版する。一冊の本という形で世界を構築し、提示する。それは小説家が処女作の単行本を出すのに似て、キャリアの重要な区切りであり、一つの目標である。一枚の写真では伝えられないメッセージを、複数の写真を組み合わせることによって明確に打ち出すことができるのだ。

残念なことに、不況の続く出版業界において写真集は不利な立場に追いやられている。①重い、②高い、③かさばる という三重苦を負っているためだ。作品の質を保持するためにアート紙という特殊な紙を用いるから、重さが増す。視覚的にもある程度の大きさが必要になり、かさばる。さらに一万部売れればベストセラーという小規模マーケットでは、初版から少部数で売らざるをえない。結果、どうしても単価が高くなってしまう。
日時: 2004年06月03日 16:55 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年05月20日
荒木経惟 ~私写真は記号で物を語る~

前回に続き、飯沢耕太郎師による私写真論の講義である。今回もまた、飯沢師の著書『私写真論』(筑摩書房・刊)より荒木経惟氏を取り上げた。
荒木氏は1940年生まれ、千葉大学工学部を卒業し、電通へ入社。そこで写真家として活動を始め、1964年、雑誌『太陽』が創設した写真家新人賞の太陽賞を『さっちん』(自費出版)で受賞する。その後、本格的に写真家としての活動を始める。
日時: 2004年05月20日 00:01 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年05月13日
深瀬昌久 ~境目の私写真~
当学部写真学科を卒業され、現在は写真評論家として活躍されている飯沢耕太郎師が「私写真とは何か」というテーマで、実際の作品をスライドで見ながら講義される二回目。取り上げる作家は飯沢師の著書『私写真論』(筑摩書房・刊)より、深瀬昌久氏を選ばれた。
そもそも、私写真とは広義でとらえればあらゆる写真を意味する。しかしそれは、日本の文学作品にはなぜ私小説が多いのか、ということと同じになってしまう。そのため、今回の授業から四人の作家を取り上げ、彼らは何をどのように撮影してきたのかを見ることで、私写真の意味をとらえ直すことを目的としている。
日時: 2004年05月13日 23:57 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年06月19日
伊勢谷友介氏にインタビュー

文芸学科棟402教室は、この授業用の特別レイアウトになっている。たまたま、この教室は一週間の時間割を通して、他の授業のために使われていないので、自由に椅子や机の配置などが可能なのである。実際のところ、机はすべて教室の後ろに移動して、椅子だけが使われている。先生や、授業内ゲスト、学生代表インタビューアーが座る席が黒板の前に設けられていて、それを囲む形で他の学生用の椅子が円形に並べられている。
日時: 2003年06月19日 18:53 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年06月05日
現代美術家、工藤キキ氏
工藤キキ氏が授業内ゲスト。ホストは湯山先生。
工藤氏はアーティスト村上隆、秋田敬明らと共に渋谷のマンションの一室 でギャラリーP-HOUSEをオープンした。その後POPEYE編集部にてライターに。己の美意 識を貫くカルト人間をご紹介する『平成カルト列伝』、若手現代ビジュツ作家の紹介をする『オルタナパパラッチ』、大物オヤジの破天荒な処世術を聴講する 『男のイズム』(写真はアラーキー)など、連載コラム多数。著書に『あすなろさん -オルタナハリウッドの住人達』、『姉妹7センセイション』、 『世の中のパロディ』などがある。
日時: 2003年06月05日 07:15 | パーマリンク | トラックバック (0)
2003年05月29日
星の航海術
ホストは新井先生。ゲストは石川直樹氏。旅先で撮影した写真をスライドで投影しながら石川氏が、それぞれに説明を付けていくという形式は前の時間、ジャーナリズム論と同じであった。しかしながら、この授業で石川氏の話は星の航海術、スター・ナヴィゲーションに重きを置いていた。ジャーナリズム論では陸の冒険、こちらの授業では海上の冒険について語ってくれたことになる。スター・ナヴィゲーションに関しての詳しい説明は、石川直樹氏の公式サイト内のここを参照していただきたい。
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現在、スター・ナヴィゲーションを修得して使いこなせる人間は、二人しかいないのだという。ある人物と、ハワイを拠点としているその人物の弟子である。石川氏は、人間が失った生きる力を取り戻したい、もしくは研ぎ澄ましたい、と考えているそうだ。それゆえに、星の位置に関する知識だけでなく、風や波の音を感じる力などが要求されるこの航海術に惹かれたのだという。彼は、そのことを知ると国立国会図書館などでいろいろと調べ、その人物がいるだろうという島を突き止めた。その後、アポイントメントを取ることなしに、その人物の下に駆けつけ、弟子入りさせてほしいと申し出たという。それから、実際にスター・ナヴィゲーションを使うことができるその人物と実際に航海に出て、それなりに過酷な体験をしたことについても語ってくれた。それにしても、スター・ナヴィゲーションの修得には少なくとも20年かかるというから、石川氏は今後も師匠の下でさまざまな経験と修行を積むことになるのだろう。
日時: 2003年05月29日 07:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年05月22日
漫画家しまおまほ氏、おおいに語る
漫画家しまおまほ氏がやってきた。ホストは新井先生。しまおまほ氏は、小説家島尾敏雄の孫にあたる人物だが、それだけではない。高校時代に彼女が自分のノートに落書きしていた漫画『女子高生ゴリコ』が、高校生の間で話題になり、あちこちにコピーが出回り、ちょっとした現象になった。それを本にして出版したのが彼女のデビューである。『女子高生ゴリコ』を読んでみたが、漫画自体は人をうならせるようなものではないかもしれない、というのが僕の正直な感想だ。ルーズ・ソックスをはいたいわゆるコギャルの生活が戯画化して描かれている。しまお氏自体は、高校時代にそういうことはなくて普通の女子高生だったそうである。
日時: 2003年05月22日 21:54 | パーマリンク | コメント (0)
2003年05月15日
リアル・ワールドのリトマス試験紙
前回のしりあがり寿氏の授業内インタビューを受けてのフォロウ・アップ第一段、という位置づけに本日の授業はなるだろう。まず、先週の授業直後に出された課題レポートの中から一つをピック・アップし、課題を書いた学生本人に原稿を朗読させる。その直後、湯山先生はご自分の立場から、読み上げられたレポートの内容に関して、プラスとマイナス面を明確にしながらコメントしていく。先生のめりはりのある声と、よどみのないコメントは、授業をスピード感のあるものにしている。これが雑誌を制作する側の現場感覚というものだろうか。
日時: 2003年05月15日 12:28 | パーマリンク | コメント (0)
2003年05月08日
漫画家、しりあがり寿氏
湯山先生による「しりあがり寿」氏の授業内インタビューが行われた。しりあがり寿氏は、多摩美術大学を卒業した後、キリンビールなどで広告の宣伝やパッケージデザインや商品開発を担当していた。しかし、本人曰く「管理職にされそうになったので」仕事を辞め、漫画家になったのだそうである。その後は、漫画にとどまらず、広告イラストレーションや、小説など多分野に渡って活躍されている。詳しくは、しりあがり寿氏のオフィシャル・サイト「おーい!さるやまハゲの助」を参照されたい。
日時: 2003年05月08日 21:43 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年04月24日
インタビューも一期一会
前回は学生で溢れかえっていた教室だが、今日は選抜試験の合格者のみの出席者なので、学生の数も落ち着いた。ちなみに、選抜された33名、全員が出席した。本日、湯山先生はいらっしゃらず新井先生のみ。自己紹介がてら、それぞれの学生に自分が会って話を聞きたい人物・表現者に関して語ってもらう。文芸学科の開講科目であっても、他学科であるデザイン・映画・放送・写真・演劇・音楽などの学生も選抜試験に合格してきているので、彼らが関心を持っている人物は一様ではない。選抜試験の作文で、ある程度自分をプレゼンできたはずの彼らだけあって、それぞれの学生からきちんとした個性を感じた。
日時: 2003年04月24日 07:06 | パーマリンク | コメント (0)
2003年04月17日
ライター湯山玲子先生、受講者選考
ジャーナリズム論2を終えてすぐに、駆け足に湯山玲子先生と初顔合わせをする。湯山先生は、元『ぴあ』の編集者で『SWITCH』などへの寄稿や、映画パンフの編集、『ヴォーグ・ニッポン』での“おんなひとり寿司” といった名物連載、クラブ・マガジン『LOVE PA !! 』『フロアー』元編集長として業界では知られている。
授業開始時間が迫っていたので簡単な挨拶をした程度で、ほとんど時間をおかず、新井先生とご一緒に教室へご案内する。文芸特殊研究では新井先生と湯山先生が共同ホストになって、いろいろなゲストを招いて話を聴いていく形式を取るそうである。この授業も「ジャーナリズム論2」同様、教室は学生でいっぱいである。
日時: 2003年04月17日 18:54 | パーマリンク | コメント (0)
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