●ABOUT2003年05月 アーカイブ
2003年05月08日
写真評論家、飯沢耕太郎先生
飯沢耕太郎先生の授業初日である。

助手の山下さんから授業前に、飯沢先生に簡単に紹介してもらって顔合わせをする。急遽授業にスライドを使用したい、という申し出が先生からあり、助手の青木さんにセッティングやスライドの切り替えなどをやっていただくことになった。
授業開始。まずは先生の自己紹介。黒板に飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう)、写真評論家と板書をしてから話を始められた。飯沢先生は日本大学芸術学部の写真学科出身である。授業を履修している学生に写真学科の人間が結構多いことを確認されると「なんだ、こんなに写真学科がいるのか、やんなっちゃうな」などと飯沢先生はおどけた。
始めのポイントは、自分がなぜ写真家にならず、写真評論家になったのか、という点だった。大学に入った時点では、まだ写真家志望だったということだ。しかし、池袋西武で開かれた『ダイアン・アーバス展』を見に行ったとき、自分はこれを越えられるものは撮れないんじゃないか、と思ったそうである。

実をいうと、それが大学に入って見に行った初めての写真展でもあったそうだ。飯沢先生は、ダイアン・アーバスの写真展や展示されていた写真が自分にとって「刷りこみ」になっているのではないかと振り返った。つまり、生まれたばかりのヒヨコなどが、初めて見たものをそれが物であれ、人間であれ、親として認識し、それにずっとついてまわるようになる現象のことである。
その後、写真家ダイアン・アーバスを彼女が活躍した時代背景などと絡めながら紹介。最後に、スライドで彼女の写真をスクリーンに投影し、それぞれにコメントを加えながら、彼女の仕事とそれぞれの写真の特徴など飯沢先生が解説を加えていった。また、その中で先生なりの写真論も展開された。
(2003.5.8)
投稿者: 日時: 2003年05月08日 21:37 | パーマリンク | コメント (0)
漫画家、しりあがり寿氏
湯山先生による「しりあがり寿」氏の授業内インタビューが行われた。しりあがり寿氏は、多摩美術大学を卒業した後、キリンビールなどで広告の宣伝やパッケージデザインや商品開発を担当していた。しかし、本人曰く「管理職にされそうになったので」仕事を辞め、漫画家になったのだそうである。その後は、漫画にとどまらず、広告イラストレーションや、小説など多分野に渡って活躍されている。詳しくは、しりあがり寿氏のオフィシャル・サイト「おーい!さるやまハゲの助」を参照されたい。
|
作者の名前こそ知らなかったが、僕自身の記憶を遡ると、しりあがり氏のイラストレーションに関しては高校時代くらいから、あちこちで目にしていたと思う。そういえば、活字媒体でも最近ひょんなところでも、しりあがり氏の写真を見かけた。妻が買ってきた雑誌「日経woman」のOL悩み相談室といった感じのコーナーで、ゲスト回答者として登場していたのである。
授業準備として、科目登録している学生は、しりあがり寿氏の主要作品を、このゴールデン・ウィークの連休の間に読んでおくことが課せられていた。けっこうな量だったが、学生も必死に読んできたようだ。しりあがり寿氏を教室にお呼びする前に、学生にいろいろ感想を聞く。学生の感想の中には、素直にしりあがり寿氏の作品が「嫌い」という者もいたが、湯山先生は「それはとっても大事なことです」とおっしゃった。なぜ、自分が嫌いだと感じるのか、そのあたりを明確にするための問題意識を持つだけでも、対象に対する自分との距離を測る上で大事なヒントになるという。
湯山先生による「しりあがり寿」氏のインタビューが開始された。まず、湯山先生からの始めの質問は、どういう経緯で現在のような表現者としての独特のポジションにしりあがり寿がたどり着いたのか、というものだった。しりあがり寿氏は、「なりゆきみたいなものなんだけれど」と断ってから、氏の大学時代にまで遡り、いろいろなエピソードをはさみながら、その経緯を説明した。表現者として成功した先輩にあたる氏でも無名時代にはいろいろな迷いを抱えていたことなど、学生たちも時には共感できるといった感じで興味深そうに聴いていた。

次に、氏の作品が醸し出している世界観や価値観、ストーリーの構築法といった質問が湯山先生から次々になされた。先生のインタビューは、インタビューする相手に質問をただ投げかけるだけではなく、自分なりの仮説を先に提示しておいて、それをインタビューされる主体と一緒に検証していくスタイルである。たとえば、「私はこれこれこう思うのですけれど、こうかもしれない。しりあがりさん、本当のところはどうなんでしょうねぇ」という感じで質問の第一声がなされる。インタビューされる主体、作者本人に自分の読みの仮説を直接提示することはとても勇気のいることだと思う。中途半端な読みや取材などによっては、そんなことは不可能なはずだ。質問の形式に着目するだけでも、作品やインタビューする対象に全力でコミットしている湯山先生の姿勢をうかがい知ることができたように思う。
後半に行けば行くほど、インタビューは深みをまして興味深いものになっていった。しりあがり寿氏も、インタビューに答え、学生の前で話をすることを楽しんでいるようだった。
湯山先生のインタビューの後、ゲストのしりあがり寿氏に対して学生が質問をする機会が与えられた。学生の中にも、しりあがり寿氏の純粋なファンから、氏の作品をかなり読みこんでいる者までいるようで、意外な質問が出た。たとえば、「某新聞ではこんな着想があるというお話をされていましたが、それはいつ、どのような形で実現しそうですか」といった学生の質問が出て、それについてしりあがり寿氏も大まじめに答えていた。最後に、しりあがり氏に今後の展望を聞いて授業は終了した。授業終了後、しりあがり寿氏の前にはサインをもらうための学生の列ができ、氏はにこやかに学生の要望に応えていた。
(2003.5.8)
投稿者: 日時: 2003年05月08日 21:43 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年05月15日
スポーツ記者、赤羽先生
赤羽先生の初授業日。

講師室に先生がいらっしゃっていると聞いて挨拶にいく。新井先生や飯沢先生よりも年齢的にはひとまわり上の印象である。
話の枕は、ヨルダンの空港で毎日新聞記者が起こした爆破事件と、ニューヨーク・タイムズの記事捏造発覚事件だった。次に、ごく簡単な先生の自己紹介をされた。赤羽先生はオリンピックの取材を専門にされてきたスポーツ記者である。
まず、現在の話としてオリンピックにどのような種類のジャーナリズムが係わっているのか、という話を取材形態などのカテゴリー分けをしながら説明された。
本日の授業はオリンピックの歴史がメインだったといえる。古代オリンピックから近代オリンピックまで。初期の近代オリンピックには、平和友愛のイデオロギーが込められていた。その後、始まったオリンピックの政治利用。その具体例が、東西冷戦下のオリンピックのボイコット合戦であった。ロサンゼルス・オリンピック以降加速したといえる商業化。オリンピックの商業主義化が競技の数を増やしていったこと。

僕個人の印象でも、最近のオリンピックは、近代オリンピックが目指していた平和と友愛などというイデオロギーからずいぶんかけ離れたところに来てしまっているように感じる。ナショナリズムを高揚させるための装置と化してしまったかのような感があるのだ。
そんなに一生懸命見ていたわけではないが、同時多発テロ後の、アメリカで行われた冬季オリンピックは、明らかに怪しい大会だった。まず、アメリカ国内で、テロ後に盛り上がりを見せたナショナリズムをさらに盛り上げるための装置としてオリンピックが政治利用された。また、韓国などのアジアの国々によるジャッジに対する抗議には、ほとんどとりあわなかったのに対して、ヨーロッパの有力国からの抗議には、比較的まともに対応し、時には判定が覆ったりした例があった。また、一部の競技で判定競技の審判同士の間に密約があったことも明らかになった。また、競争の激化が招いたと思われるドーピング問題は今後も起こることだろうと思う。アメリカ留学中の授業で、そういった競争激化やナショナリズムの激化、という流れにオルタナティヴを示す一つの試みとしてゲイ・オリンピックが開催されている、という内容の話が出たことがあった。ゲイ・オリンピックにおいては、ナショナリズムを意識させる国ごとのエントリー制度もなく、競争よりも、一緒に楽しむことを目的とするため、競技に順位はつけない、といった取り決めがあったように思う。まあ、この方が、近代オリンピックの黎明期に掲げられた平和や友愛というイデオロギーに合致するとは思うけれど、これがヘテロセクシュアルを世界を巻き込んだ大きな流れになる……というのも考えにくい。
先生の話は、オリンピックに関する広いトピックに及んだ内容だったが、僕自身はオリンピックとイデオロギーの関係についてもう一度考え直してみたい気分にさせられたのだった。(2003.5.15)
投稿者: 日時: 2003年05月15日 07:14 | パーマリンク | コメント (0)
リアル・ワールドのリトマス試験紙
前回のしりあがり寿氏の授業内インタビューを受けてのフォロウ・アップ第一段、という位置づけに本日の授業はなるだろう。まず、先週の授業直後に出された課題レポートの中から一つをピック・アップし、課題を書いた学生本人に原稿を朗読させる。その直後、湯山先生はご自分の立場から、読み上げられたレポートの内容に関して、プラスとマイナス面を明確にしながらコメントしていく。先生のめりはりのある声と、よどみのないコメントは、授業をスピード感のあるものにしている。これが雑誌を制作する側の現場感覚というものだろうか。
個々のアドヴァイスもかなり具体的だ。その基準では、学校の外、もっと具体的にいえば商業ベースに乗っている雑誌などの世界ででどのくらい通用するか、しないか、という点である。複数の雑誌での編集長経験を持つ先生の言葉はやはり説得力がある。また、理路整然としていて、聞いていて気持ちいいものだ。
学生も本気で課題に取り組んできたようで、レポートの内容から、いろいろと自分なりの色を出そうと工夫している様子がわかった。インパクトのある導入で読み手を引きつけようとするもの。手書きの文字自体をデザイン性のあるもので際だたせようとするもの、ひたすら自己卑下や自己批判をしながら自虐的な笑いをとろうとするもの。また、比較的冷静にしりあがり寿氏の人柄や作品を分析したもの。文学的な表現に凝ったもの。どの学生も、それなりに読者という他者を意識した内容になっていた気がする。
湯山先生から生徒へのコメントを僕が覚えている範囲で書き出してみると次のようなものがある。

「……君の作品は冒頭で飛び道具が出てきてインパクトはあるのだけれど、中盤以降大人しくなってまとめようとしている感じがこちらにもわかってきてしまう」
「紋切り型の内容を突き詰めていって、全然紋切り型でない内容と結論にたどり着く……さん独特のセンスは面白い。どこかの雑誌で使ってみたいくらい」
「……さんのレポートはデザイン的に凝っていていいのだけれど、文章を読む側にとってはいらぬ先入観を与えてしまうこともあるので注意した方がいい」
「……君の表現には舌を巻きました。今回の中では一番でした。具体的な内容を抽象的なところに還元して、それを再び目に見える形の比喩でヴィジュアライズして読み手にわからせる、これは普通なかなかできないことです」
こういった形で、自分のレポートなり批評が、学外のいわばリアル・ワールドのリトマス試験紙にかけられた結果を知らされるわけで、学生たちにとって、とてもエキサイティングな経験になったに違いない。「先生のアドヴァイスを基にもう一度書き直してきます、読んでいただけますか」と質問する学生もいて、本気で授業に取り組んでいる様子が、こちらにも伝わってきた。
(2003.5.15)
投稿者: 日時: 2003年05月15日 12:28 | パーマリンク | コメント (0)
2003年05月21日
リンク
専任スタッフ
兼任・非常勤スタッフ
投稿者: 日時: 2003年05月21日 23:41 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年05月22日
写真家、星野道夫の生き方
登録学生があまりにも多く、約80人収容の教室では立ち見が多く出てしまうので、とうとう本日より教室変更になった。
本日の担当は新井先生。ビデオを三本ほど使って、写真家星野道夫についてさまざまな側面からの紹介が先生からあった。
|
星野道夫はアラスカに住んで写真を撮ってみたい、と考えた。それを実現するために彼が最初に行ったのは、知り合いのいないアラスカの街の誰か向けて手紙を書くことだった。そのために英語も勉強した。
そもそも星野はアラスカで自分なりのテーマを数年間追った後は、またどこかの地に移動して写真を撮り続けるつもりだった、とビデオの中で答えていた。しかし、彼は、アラスカから離れることはなく、熊に襲われて死んでしまうまで、生を送った。星野は地元の人々の中にも溶けこんでいて、エスキモー・ボーイというあだ名で呼ばれてさえいた。
星野と友人だったという新井先生は、いろいろと印象深いエピソードを紹介してくれた。たとえば、星野道夫はどうしても勉強したいことがあって、アラスカ大学の入学を希望した。しかし、現実にはTOEFLのスコアがかなり足りなくて、それは許可されなかった。しかし、その熱意を伝えるために彼は大学の学部長に手紙を書いた。彼の情熱を汲み取った手紙を受け取った人物は、星野の入学を許可した。
|
不器用かもしれないが、自分の願いを叶えるためにストレートな行動を起こし、それを実現してい姿がたくましいと感じた。自分の真剣な思いをこめた上で、それを伝えるべき人に、きちんとした礼儀正しい手紙を書くことができれば、たいていのことは実現できる、もしくは少なくとも協力を得られる、と言った知り合いの人の言葉を思い出した。
授業中に上映されたビデオの中、星野の口調は誠実そのものだった。そこには、自分が驚いたことを素直に伝えようとしている素朴な一人の男がいた。彼は、番組の撮影中に熊に襲われて命を失うわけだが、生前のインタビューの中で熊に襲われる可能性や恐怖を語っていた。生と同時に死ともきちんと向き合いながら星野道夫がアラスカという自然の中で生きていたことが伝わってきた映像だった。
星野道夫の写真の全体像を僕は知っているわけではない。しかし、星野の動物写真はすごく想像力を刺激する写真だと感じた。僕の目には、まるで動物たちが何かを考えている人間のような表情を見せた瞬間をとらえた写真が多いように思った。動物の存在そのものと言うより、動物の表情に思わず注目してしまうのである。
新井先生の語りとビデオは、星野道夫の写真をもっと見てみたい、と思わせるものであった。
投稿者: 日時: 2003年05月22日 21:48 | パーマリンク | コメント (0)
漫画家しまおまほ氏、おおいに語る
漫画家しまおまほ氏がやってきた。ホストは新井先生。しまおまほ氏は、小説家島尾敏雄の孫にあたる人物だが、それだけではない。高校時代に彼女が自分のノートに落書きしていた漫画『女子高生ゴリコ』が、高校生の間で話題になり、あちこちにコピーが出回り、ちょっとした現象になった。それを本にして出版したのが彼女のデビューである。『女子高生ゴリコ』を読んでみたが、漫画自体は人をうならせるようなものではないかもしれない、というのが僕の正直な感想だ。ルーズ・ソックスをはいたいわゆるコギャルの生活が戯画化して描かれている。しまお氏自体は、高校時代にそういうことはなくて普通の女子高生だったそうである。
この本には漫画以外の彼女によるエッセイや詩、写真などが掲載されている。とぼけた感じの力の抜けた文章は読ませる。肉筆で書かれた文字やそれに添えられたイラストも全体としていいバランスも持っている。漫画家と言うよりも、イラストの描けるエッセイストといった位置づけで彼女の仕事を眺めてみると、なかなか魅力的だとか言えるかもしれない。
僕は、私用で授業の前半は抜けていたので授業の後半から授業補助に入った。僕が抜けていた間は、新井先生が編集発行人を務める雑誌『Switch』の女性ライターの方がしまおまほ氏にインタビューをしていたようだ。選考試験の作文にしまおまほ氏について書いた学生がインタビューアーになった。彼女は、私は「しまおまほ」に嫉妬している、といった内容の作文を書いていた。自分だって(デザイン学科の学生)、彼女と同じような漫画を描いていて、文章も書けるのに、しまお氏は成功して世の中に出ている。私は違う、といった内容だった。彼女の中にある、しまおまほ氏と自分との違いを明確にする、というきちんとした問題意識があったため、いいインタビューになったと思う。相手の知名度に物怖じせず、自然に質問の内容が深まっていき、しまお氏とのやりとりもスムーズであった。しまお氏もほとんど同年代の同姓とのインタビューということでリラックスして話を展開しているように見えた。
しまおまほ氏に関して言えば、彼女の作品から勝手に僕が想像していたよりも、頭の回転が速いタイプの人間に見えた。
次に旅に出るとしたら、どこに行きたいか、という学生の質問に、特にない、と彼女は答えた。もともとは出不精で、強烈にどこどこに行きたいという感覚を常に持っているわけではないという。流れに身を任せながらも、あくまで自分がいるところがが拠点だという。彼女の感覚からすると、いろいろな場所が自分の方へやってきて過ぎ去っていく、それが旅だというような捉え方をしているらしい。「どこにいっても、私がいるのは地球の上で、それは変わらないわけだし」とさらりと言ってのけるところは、やはり大物だという感じがした。
表現者としての自分の位置づけに関して、漫画家と紹介されるのは少し違和感があるという。やりたいと思ったことをやっていきたい。また、作品に関しての質問に答える形で、イラストと文章は、それぞれバランスをとって補完するものだとは考えてはいないという。この答えは、僕にはちょっと意外だった。そこのバランスを求めることで作品の完成度を追求していくのかな、と想像していたからだ。彼女によれば、それぞれが、イラストのみでも文章だけでも、それぞれが独立して生きるような形のものをやってみたいという気持ちもあるという。
学生インタビューアーの質問が終わってからも、聞いていた学生からいろいろと質問が出て、活発なやりとりがあった。インタビュー時間は長引いたが、しまお氏は嫌な顔一つせずに学生の質問に丁寧に答えていた。
もちろん、ゲストを呼んで、話を聞いてそれで終わりというわけにはいかない。この授業に関する課題が発表され、その締め切りが来週早々と発表されると、学生は声にならない悲鳴を上げたようだった。
(2003.5.22)
投稿者: 日時: 2003年05月22日 21:54 | パーマリンク | コメント (0)
2003年05月29日
冒険家、石川直樹氏
石川直樹氏が本日の授業内ゲストとして来てくれた。石川直樹氏は、世界7大陸において最高峰の山を最年少で制覇した人物である。それだけではない。北極から南極への縦断を果たした「Pole to Pole 2000」(詳しくは、石川直樹氏の公式サイト内のこちらを参照していただきたい)においては世界七カ国八人の若者のうちの一人でもある。それ以外にも、アジアを中心に世界のあちこちを旅している。また、スター・ナヴィゲーション、星の位置を読んで現在地をわりだし、航海するさいの判断材料にする技術を、サモアのマオ氏に弟子入りして学んでいるという。詳しいプロフィールや活動などは氏の公式ホーム・ページNaoki Ishikawa's WEB SITEを参照されたい。
|
まず、新井先生は、石川氏のことを冒険家、もしくは旅人と紹介した。
次に、石川氏がチョモランマの山頂に登った時、自分で撮影したヴィデオをスクリーンに映し出した。それに石川氏がナレーションをつけていくという形で、当時の状況を解説した。世界最高峰の山頂を制覇する前後の舞台裏ともいうべき内容はいろいろと興味深い内容を含んでいた。標高約7~8000メートルの世界は想像を絶するらしい。それは石川氏が撮影した映像に映っていた、チョモランマをスノーボードで初めて滑り降りた人物(一度目は成功したが、二度目は失敗して命を落としたという)の滑る様子を見た時に、かなりヴィヴィッドに伝わってきた。スノーボードで滑り出すものの、2・3メートルいくとすぐ止まって、呼吸を整えていた(完全にひっくり返った状態で)。楽しく優雅に滑っているとはとても言い難い。実際に、酸素が極度に薄くなっいているので人間の運動能力がひどく低下するのだという。
また、頂上付近には人の死体が文字通り転がっているのだと言う。いくらパーティーで登ったとしても、酸素が薄い場所では、弱った人間を背負って下りるだけの運動能力がなく、置き去りにするしかない、という状況があるのだそうだ。しかも、気温が低く、冷凍保存された状態なので、そこに残っている死体はかなり生々しいという。また、ルート上の死体は登山者の邪魔になり、また死体を跨いでいくのも失礼だということで、払って山から落としてしまうのだそうだ。
出席して耳を傾けていた学生も、きっと初めて耳にすることがたくさんあって刺激的な時間を過ごせたのではないか。
投稿者: 日時: 2003年05月29日 01:54 | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (3)
星の航海術
ホストは新井先生。ゲストは石川直樹氏。旅先で撮影した写真をスライドで投影しながら石川氏が、それぞれに説明を付けていくという形式は前の時間、ジャーナリズム論と同じであった。しかしながら、この授業で石川氏の話は星の航海術、スター・ナヴィゲーションに重きを置いていた。ジャーナリズム論では陸の冒険、こちらの授業では海上の冒険について語ってくれたことになる。スター・ナヴィゲーションに関しての詳しい説明は、石川直樹氏の公式サイト内のここを参照していただきたい。
|
現在、スター・ナヴィゲーションを修得して使いこなせる人間は、二人しかいないのだという。ある人物と、ハワイを拠点としているその人物の弟子である。石川氏は、人間が失った生きる力を取り戻したい、もしくは研ぎ澄ましたい、と考えているそうだ。それゆえに、星の位置に関する知識だけでなく、風や波の音を感じる力などが要求されるこの航海術に惹かれたのだという。彼は、そのことを知ると国立国会図書館などでいろいろと調べ、その人物がいるだろうという島を突き止めた。その後、アポイントメントを取ることなしに、その人物の下に駆けつけ、弟子入りさせてほしいと申し出たという。それから、実際にスター・ナヴィゲーションを使うことができるその人物と実際に航海に出て、それなりに過酷な体験をしたことについても語ってくれた。それにしても、スター・ナヴィゲーションの修得には少なくとも20年かかるというから、石川氏は今後も師匠の下でさまざまな経験と修行を積むことになるのだろう。
次に学生代表3人による石川氏へのインタビュー。学生インタビューアーは、前もって新井先生から指名されていて、それぞれに取材した上でインタビュー内容を決定する。今回の主な取材源は、石川氏の著書『この地球を受け継ぐ者へ』 と、石川氏の公式ホーム・ページNaokiIshikawa's WEB SITEなどだったようだ。
石川氏が、雑誌や著書に発表している文章も、公式ホーム・ページに掲載されている文章も、比較的事実や出来事の羅列で淡々としたトーンのものが多いせいか、学生の質問は氏の内面的な感情を聞き出したい、引き出したい、というものが多かったように思う。中には、彼の著書の中で、感情的なものが素直に吐露されたとも思われる文章の一節を具体的にひきあいにだし、氏に直接質問することで、その文章の意味合いを掘り下げようとするような質問もあった。
学生代表のインタビューが終わった後も、それまではやりとりを聞いていた学生が次々に手を挙げて石川氏に質問した。ほとんどの学生が石川氏の著書を片手にしていて、それぞれ気にかかったり、直接本人に確認してみたい内容を尋ねていたようだった。
石川氏は、時には「それに関しては、今まで考えたことはないけれど……」と前置きしながらも、誠実に言葉を選びながら学生のインタビューに答えていた。新井先生が、「次が最後の質問」と宣言するまで、学生たちの手が次々と挙がった。学生たちは、石川氏の話に大いに刺激を受けただけでなく、その上直接対話をする機会を得ることができた。彼らにとって、すごく贅沢な時間をになったのではないかと思う。石川氏も、楽しんでくれたのかもしれない。
追記:石川氏が、公式ホームページNaoki Ishikawa's WEB SITEの日記のコーナーに、この授業について簡単に感想を書いてくれているのを後日発見しました。以下、氏の日記から引用します。
一昨日は日大芸術学部にて、ジャーナリズム論の授業にゲストとして呼ばれ、学生の皆さんの前で旅の話をさせてもらった。続いて行われた文芸ゼミの少人数授業では、公開インタビューの形で授業が進められ、学生インタビュアーの方々から今までにない質問をいろいろ受けて、なかなか刺激的な時間だった。授業後に書いてもらったアンケートを読みながら、話してよかったと実感。みんなものすごく好奇心が旺盛で、話しがいがある。
投稿者: 日時: 2003年05月29日 07:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
Copyright (C)文芸学科 授業レポート.