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2003年09月25日

ウォーターマン、荒木汰久治氏

 本日のゲストは荒木汰久治さん。大学時代よりライフセービングを始め、96年には全日本ライフセービング選手権・サーフ・スキー部門で優勝、三連覇を含む四度の優勝を経験、ライフセービング世界選手権6位の実績を持つ。大学卒業後はプロ・オーシャン・アスリートとして、モロカイレースを中心に国内外のパドルボードやカヌーなどのレースに挑戦、世界的に活躍している。モロカイレース、現日本最高記録保持者である。

 そんな彼であるが、実はもともとはカナヅチであったという。それが今では海洋文化の伝道師として、世界の選手権に出場したり、ハワイでライフガードの授業を教えている。

モロカイレース(ハワイのモロカイーオアフ間で行われる)のパドルボードレースでは、6時間18分21秒、両腕の痛みと脱水症状に耐えながら、ずっとボードをパドル(うつぶせになって手でこぎながら波に乗る)し続けるという、人間離れしたことをしてしまう荒木さんだが、ちょっと見た感じは、気さくなサーファー兄さん、スポーツクラブのインストラクター(マダムキラー)といった風体。モロカイレースに出場したキッカケも、もともとは外国の知人に、「(モロカイは)日本人じゃムリ」といわれ、悔しかったからだという。そういうところに人間らしさを感じる。 

 講義内で、荒木さんは、「ウォーターマン」という概念を語ってくれた。ウォーターマンというのは、海において特殊技術・能力を発揮する人間、もっといえば海を自分のライフスタイルの中に取り入れている人のことであり、例えばライフセーバーもそうであろうし、カヌーの選手もそうであるし、漁師や、素潜りの達人もそうであろう。海が、自然が教えてくれる様々な兆候を瞬時に感じ取る能力も、ウォーターマンが共通して持つ能力である。荒木さんも、毎朝、浜辺を歩き、風を読み、天候を読み、波を読み、その日は海にはいるか、浜辺を歩くだけで終わりにするのかを判断するという。

 だが、ぼくが興味深かったのは、ウォーターマンが海の恐ろしさと楽しさを同時に知っている存在であるということである。荒木さんの話の中に、地元の人がボードの先に針を引っかけて、魚釣りでいうところのトローリングをして魚を捕っているのを見て、それを真似たら、予想以上に大きな魚がかかってしまって、海の中に引きずり込まれそうになって大変な目にあったことがあるという話があった。海はいつも危険と隣り合わせの場所であるが、その中で「遊ぶ」ことが出来る。海の恐ろしさを知るからこそ、海の楽しさを知る。ぼくにはそれが、荒木さんがウォーターマンたるゆえんなのではないかと思えた。

 はるか昔、海は交通の場であった。現在の考古学の成果は、二本の縄文人と東南アジア、ミクロネシア方面の諸島との交流を次々と発見している(例えば、縄文土器の紋様の類似)。東南アジアから日本まで、今のような航海技術のない時期に、永遠と旅を続けてきた縄文人たちの「旅」が過酷なものであったことは想像に難くないが、しかし、案外、その旅はぼくたちが考えている以上に「楽しみ」も多いものなのではなかったか。

 われわれ人類は、現代においては、欲望や利益や虚栄のために海外へと出ていく。しかし、ほんらい人間は、「外の世界が見てみたい」という純粋な思いに駆られて、外界へと旅立っていったのだろう。そんなことを思った。

【松下成矢】

投稿者: 日時: 2003年09月25日 17:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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