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2004年04月26日
日野日出志画伯、最初の授業

15年前、私は小学生だった。家庭の事情で別居していた父が、週の日曜だけ、私の住む埼玉の家にやって来た。父と食事をし、銭湯に行き、ふたりで本屋やビデオ屋を見て回る日曜日は、私にとって特別な日だった。私の心象風景には、父の横で手に取ったビデオケースの重みと、若干色褪せた毒々しいパッケージが、未だ消えることなく染み付いている。
「悪魔の実験」と題されたそのビデオの内容は、ナンセンス極まりなく、数人の男が一人の女を様々な種類の拷問にかけて責める様子を、延々と映し出すだけと言うものだった。そこには一切のストーリーもメッセージ性も存在せず、少なくとも小学生だった私には、本作の存在意義を言葉にして明確に表すのは困難な作業だった。かと言って、本作に当時の私が魅力を感じなかったと言えば嘘になる。当時私は、物事を表現する手段において、製作者がここまで視聴者を突き放した方法を敢行した事実に少なからず驚き、同時にそれまで味わったことのない高揚感を体験した記憶がある。誤解しないでいただきたいのは、私は本作の嗜虐性や出演者の演技に感銘を受けたのではない。巷に氾濫するドラマや演劇の作為性を、今一つ信用することの出来なかった小学生に、ある日、表現に対する強烈な渇望を呼び起こした現実を語っているのである。
その映像作品の原作者が漫画家で、かなり根強いファンを持つと知ったのは、もう少し年をとってからだった。漫画家は、名を日野日出志と言った。当邦随一の幻想漫画を描く。ここでは敢えて、ホラー漫画なんて野暮なことは言うまい。日出志画伯の描く漫画は、イコールホラー漫画ではない。「日野日出志」という人間の人生を歩んで来た者にしか描けない、人物の履歴書なのである。
2004年4月26日、その日野日出志画伯が、我等が日芸所沢校舎、私がアシストを勤める授業にやってくることになった。TAの仕事上、ビデオカメラを教室の中央にセットし、私は遠慮勝ちに陣取った。緊張の余り、録画のし方を忘れてしまう。打ち合わせに戻ろうと持ち場を離れると、教室に入って来た作務衣の紳士と鉢合わせした。紳士は目元に愛嬌を湛えている。私と目が合うと、紳士は笑みをこぼした。「・・アッ!画伯」その紳士こそ、地獄絵を描かせたら天下逸品、希代の幻想漫画家・日野日出志画伯その人だった。
画伯はその作風から想像する人物像とは裏腹に、普段は非常にシャイだ。そして目が可愛い。しかし、一度ペンを握ると、彼の人格は豹変する。このシャイで目の可愛い一人の紳士が、地獄絵師・日野日出志になるには、莫大な精神的・肉体的負担を伴うであろうことは、想像に難くない。画伯は語る。「読者は私の作品を通して、私という人間を規定しようとする。日野日出志ではない、一介の男に過ぎない自分がもしいなかったら、俺は今日まで生きられなかった」
小学生だった私に強烈な印象を植え付けた「悪魔の実験」を始め、授業の中で画伯は、自身が制作に携わった映像作品のことについても言及された。本作は、当時の連続幼女殺人事件の犯人に、精神的教唆を与えたと当局に指摘され、間もなく店頭から姿を消した。だが、画伯は教壇の前で事も無げに言われた。「一連の作品は元々、世間に有用な物を目指したり、社会を啓発するつもりで作った訳じゃない。社会的に批判されるのは、制作当初から見越していた」
私などが画伯の見解を代弁するのはおこがましく、不可能ではあるが、画伯に影響された者として、私なりの意見を書き綴ることを許していただきたい。同時に、画伯は授業の中で「読者の啓発とか社会の向上だとか、そんなことを考えて仕事をしてるんじゃない、むしろそれとは逆だ」とのニュアンスのことも言われたと記憶している。或る事柄について、表現せずにはいられない衝動が、表現者の内層に先んじてあって、それ以外の要素は、芸術作品として形作られる過程で付随する二次的な物であると、私は解釈した。あの時、画伯の監督したビデオを手に取ってしまった故、ある種の表現欲に目覚めた身としては、画伯の言葉は正に、真摯な一表現者の弁だった。締め括りに、私が最も印象深かった画伯の言葉を挙げよう。
「幼児体験を始めとする私の人生は、私しか体験したことはない。故に、私の漫画は私にしか描けない」
そう言えば、私の大学院担当でもある清水正教授も、常々「授業は戦争だ」と公言している。普段はやはり温厚な目をした先生だが、授業に挑む態度には、尋常ならざるものがある。「授業中に飯を食う者や居眠りをする生徒は撃ち殺されても仕方がない・・だって戦場だから」と本気で言っている。日出志画伯と清水教授が、打ち上げの飲み会の席で、初対面にも関わらず意気投合している姿は、見ていて微笑ましかったと伝えておく。
投稿者: 日時: 2004年04月26日 15:23 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
つげ義春「チーコ」の一場面を学生が再現

私のティーチング・アシスト(授業補助)としての初仕事は、所沢校舎月曜4限の、マンガ論だった。日芸の名物先生として知られる清水正教授開講の、看板授業である。
例年の人気に漏れず、今期も受講希望者は多く、約120人収容の教室に、空席は見当たらなかった。集められた受講希望カードを確認すると、文芸学科対象の授業に関わらず、演劇、映画、放送と、多岐に渡る学科の生徒が集まって来たようだ(現在受講生163名)。
今回は、芸術性の高い漫画で知られる、つげ義春氏の作品を研究対象として取り上げた。つげ作品の研究は、ドストエフスキー研究と双璧を成す、清水教授のお家芸講義である。 まず、氏の作品「チーコ」を印刷したプリントが受講者に配られた。授業では、作品を黙読した後、劇中には具体化して表されない、登場人物の行動や心理状態についての考察が、清水教授よりなされた。
これは私の見解だが、清水教授の授業に人気が集まる理由は、講師と受講者の間の意見交換・発言が積極的に促される点にある。今回も、面白い試みが展開された。演劇学科の受講者が多いことを知った清水教授は、数人の生徒を男女ペアで教壇の前に立たせ、「チーコ」劇中の一場面を再現させた。

うだつの上がらない漫画家と、水商売に身を投じる彼の女役に、生徒ふたりは扮した。清水教授は劇中、恋仲にある漫画家に愚痴をこぼす女役について、「漫画には描かれてはいない部分の彼女を演じて」と、女役をあてがわれた女生徒に、幾度も駄目出しを食らわせる。演じる上でのポイントは、彼女がその日の夜に、水商売の客と肉体関係を結んだか否かの一点に集約された。無論、そのことについて漫画の中には一切描かれていない。教授は力説した。「漫画に限った話じゃない。全てが描かれてしまっているものなどに魅力はない」私を含め、教室で聴講していた芸術の担い手達の間に、一段と強い創作欲の熱気が立ち昇った。「目に見えない部分を考えるか否かで、作品世界が何倍にも面白く膨れ上がる。芸術を志す者には、その事実に目を向けてもらいたい」
ちなみに、講義中に私語を話す生徒には、私がそっと警告のイエローカードを配る算段になっていた。だが、今回に限りその心配はなかった。生徒は興味深く当講義に聞き入っていたし、清水教授の熱弁から何かを得ようという気概が、目付きや授業態度から感じられた。また受講希望カードと共に、清水教授へのラブレターとも言える、自発的な授業レポートも混じっていたのには驚かされた。今回は一貫して、受講者が退屈することのない、メリハリのある講義が展開された。やはり所沢の新入生組は、授業に慣れてしまった者のいる江古田の授業よりも、全体として雰囲気が勝っていた。
投稿者: 日時: 2004年04月26日 15:53 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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