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2004年04月26日

つげ義春「チーコ」の一場面を学生が再現

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 私のティーチング・アシスト(授業補助)としての初仕事は、所沢校舎月曜4限の、マンガ論だった。日芸の名物先生として知られる清水正教授開講の、看板授業である。
 
 例年の人気に漏れず、今期も受講希望者は多く、約120人収容の教室に、空席は見当たらなかった。集められた受講希望カードを確認すると、文芸学科対象の授業に関わらず、演劇、映画、放送と、多岐に渡る学科の生徒が集まって来たようだ(現在受講生163名)。

 

今回は、芸術性の高い漫画で知られる、つげ義春氏の作品を研究対象として取り上げた。つげ作品の研究は、ドストエフスキー研究と双璧を成す、清水教授のお家芸講義である。 まず、氏の作品「チーコ」を印刷したプリントが受講者に配られた。授業では、作品を黙読した後、劇中には具体化して表されない、登場人物の行動や心理状態についての考察が、清水教授よりなされた。

 これは私の見解だが、清水教授の授業に人気が集まる理由は、講師と受講者の間の意見交換・発言が積極的に促される点にある。今回も、面白い試みが展開された。演劇学科の受講者が多いことを知った清水教授は、数人の生徒を男女ペアで教壇の前に立たせ、「チーコ」劇中の一場面を再現させた。
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 うだつの上がらない漫画家と、水商売に身を投じる彼の女役に、生徒ふたりは扮した。清水教授は劇中、恋仲にある漫画家に愚痴をこぼす女役について、「漫画には描かれてはいない部分の彼女を演じて」と、女役をあてがわれた女生徒に、幾度も駄目出しを食らわせる。演じる上でのポイントは、彼女がその日の夜に、水商売の客と肉体関係を結んだか否かの一点に集約された。無論、そのことについて漫画の中には一切描かれていない。教授は力説した。「漫画に限った話じゃない。全てが描かれてしまっているものなどに魅力はない」私を含め、教室で聴講していた芸術の担い手達の間に、一段と強い創作欲の熱気が立ち昇った。「目に見えない部分を考えるか否かで、作品世界が何倍にも面白く膨れ上がる。芸術を志す者には、その事実に目を向けてもらいたい」
 
 ちなみに、講義中に私語を話す生徒には、私がそっと警告のイエローカードを配る算段になっていた。だが、今回に限りその心配はなかった。生徒は興味深く当講義に聞き入っていたし、清水教授の熱弁から何かを得ようという気概が、目付きや授業態度から感じられた。また受講希望カードと共に、清水教授へのラブレターとも言える、自発的な授業レポートも混じっていたのには驚かされた。今回は一貫して、受講者が退屈することのない、メリハリのある講義が展開された。やはり所沢の新入生組は、授業に慣れてしまった者のいる江古田の授業よりも、全体として雰囲気が勝っていた。

【栗原隆浩】

日時: 2004年04月26日 15:53 | パーマリンク |TOPページへ   ▲画面上へ

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