HOMERSSサイトマップ

●ABOUT2004年06月 アーカイブ

2004年06月03日

写真集はポータブルなタイムカプセル

今回のテーマは「写真集」である。

 写真家が写真集を出版する。一冊の本という形で世界を構築し、提示する。それは小説家が処女作の単行本を出すのに似て、キャリアの重要な区切りであり、一つの目標である。一枚の写真では伝えられないメッセージを、複数の写真を組み合わせることによって明確に打ち出すことができるのだ。
photo_album.jpg

残念なことに、不況の続く出版業界において写真集は不利な立場に追いやられている。①重い、②高い、③かさばる という三重苦を負っているためだ。作品の質を保持するためにアート紙という特殊な紙を用いるから、重さが増す。視覚的にもある程度の大きさが必要になり、かさばる。さらに一万部売れればベストセラーという小規模マーケットでは、初版から少部数で売らざるをえない。結果、どうしても単価が高くなってしまう。

このような欠点があるものの、読者にとっては好きなときに好きなだけ自由にぱらぱらとめくって観ることができ、そこが写真展とは違う写真集の魅力でもある。例えば一冊の写真集を十年ぶりに眺めてみる。すると初めて手にしたときとは、写真の見方や感動の質が違っていることに気が付く。飯沢先生いわく、写真集はポータブルなタイムカプセルなのである。

 写真集は3つのスタイルに区分される。1つはストーリー型。ばらばらの写真を一つのストーリーに沿って配置し、テキスト(文字)を挿入する方法だ。受け手にはっきりしたメッセージを伝えやすいという利点があるが、逆に言えば、受け手の自由な解釈を許さないスタイルといえる。

 2つめはカタログ(図鑑)型。全ての写真のサイズや撮り方をあらかじめ規定し、等価に並べていく方法である。ストーリー性をもつテキストは省略し、一貫したスタイルの写真をたんたんと配置していく。受け手の自由な解釈を邪魔せず、どこから見始めてもいいように出来ている。

 3つめは日記型で、ストーリー型とカタログ型を混合したものである。実際、純粋なストーリー型やカタログ型は少なく、多くは2つの要素が融合したスタイルになっている。

 授業では、ストーリー型の代表例として『The Family of Man』(1955) を、カタログ型では『One』(1970)を紹介した。そして日記型では荒木経惟の『センチメンタルな旅』をとりあげ、スライドで上映した。

portable.jpg
 のちに荒木氏の出世作となった『センチメンタルな旅』は、1971年に千部限定で自費出版された。今は亡き妻陽子さんとの新婚旅行を日記風にまとめた写真集であるが、もちろんただの日記ではない。日記型の特徴は、はじめにストーリーありきではなく、写真からインスピレーションを得てストーリーが生成していくことだ。荒木氏はプライベートな新婚旅行の写真をカタログ的に等価に配置しながら、生から死を経て再び生の世界に至る、というストーリーを紡ぎだしてみせた。

 スライドに次々と写っては消えていく写真。滅多に笑わない耀子さんの顔。植物的な裸体。合間にふんだんに挿入された旅の景色。旅のはじめから終わりまで、不思議にせつない、物憂げな、あるときは不気味な光景が映しだされる。飯沢先生の解説を聞きながら、私たちは異界とのあわいを漂う「センチメンタルな旅」に誘われていったのだった。

 

【寄稿者 菊地】

投稿者: 日時: 2004年06月03日 16:55 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年06月07日

永井哲氏「あたりまえでさりげない存在を目指して」

nagaiakira250.jpg
2004年6月7日の文芸特別講義は、現在関西で聾唖者団体の代表を務められる漫画家・永井哲(ながい あきら)先生が教鞭をとられた。小学生の時、不慮の事故に纏わる手術をされた永井先生は、現在も聴覚を失われた状態にあり、今回は聾唖漫画家の立場から見た、漫画表現における障害者問題についての講義がなされた。
 
 自身も手塚治虫の大ファンであったという永井先生の口からは、表現と障害者の問題について、新鮮で且つ的確な見解がなされた。先生は、一般的な漫画やドラマに登場する障害者の設定の多くが、如何に的外れで誇張されているか、指摘された。

nagaimanga.jpg
「ああいった設定の多くは、あくまでフィクションと考えて下さい。少なくとも僕は、ドラマや漫画のキャラクターの様に、読唇術の達人や超人にはなれない」先生は、始終にこやかな笑みを絶やさなかった。

 更に先生は、表現上の規制の多くは、障害者団体や人権擁護団体からのクレーム・検閲よりも、むしろ出版者側の、早計な自主規制による部分がほとんどだとも付け加えられた。その自主規制も、なまじ蔓延する障害者観に基づいた規制である為、古い作品を雑誌掲載当時のまま見ることすらできなくなっている現状があるという。

「一漫画ファン、一漫画家として、その現状が歯がゆいんです。僕は古い漫画も昔のままの表現で読みたい!」

 表現者が、漫画という虚構世界において、必ずしも正確な障害者像を提示する必要があるのか、一概には言えない部分がある。だが、世間に流布している表現作品によって、我々読者から、リアルな障害者観の発育を妨げる過程が現存しているのも事実である。作品を作る製作者の認識の甘さに加え、偏った見識に基づく自主規制という、二重の偏見構造がそこにあった。

 「臭い物には蓋」という消極的な発想は、永井先生にとっては不本意であるようだった。残念なことに、手塚や藤子といった古典漫画家の作品に、障害者に対するステレオタイプな考え方は現わされることが多いという。しかし、偏った認識を訂正する上で、本編にそのまま手を加えるのではなく、注釈文の掲載等による、書き手(或いは売り手)から読み手への、積極的な認識のフォローこそ、今後必要であるという見解を、先生は提示された。
 
 表現作品の中において、障害を持つという状況が、まだまだ特別なシチュエーションであり、作者の作為的なストーリーテリングを免れない、鼻持ちならない演出だという感覚は、確かに前々から私の中に存在した。そして、永井先生の授業の締め括りのひとことが、私にその感覚を、確固たる認識に至らせるに及んだ。

「障害者が、主人公の友人であり、恋人であり、或いは背景に溶け込んだ通行人(無論、主人公であっても良いのだが)であるという、あたりまえでさりげない存在として、漫画の中に登場してくる状況こそ、僕の望むことです」

 誤解がないように言っておくが、個性のない人間など何処にも存在しない。これは、表現を志す誰もが直面する矛盾、自己の内面に抱え込んだコンプレックスと、自己顕示の狭間の、終わりなき戦いなのである。結論は、表現者ひとりひとりが見出してゆくより他はない。

 先生は、日芸に爽やかな笑顔を残された。

【栗原隆浩】

投稿者: 日時: 2004年06月07日 06:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年06月14日

御茶漬海苔氏「コミケ、プロの視点から」

otyadukenori250.jpg
梅雨の中休み、初夏の風を漂わせる去る6月14日。毎週、各ジャンルで活躍される漫画家の先生を講師としてお迎えする文芸特別講座も、早いもので前期後半に突入した。今回は、怪奇・サスペンス漫画の執筆を始め、近年は自身が企画された実写ホラービデオ作品の監督も務められる漫画家、御茶漬海苔先生がいらっしゃった。
 
 白く長い髭を蓄えられた御茶漬先生は、現在プロ(商業誌)の漫画家でありながら、修行時代に経験された同人誌作家としての仕事を、今も尚、継続されているという。中でも、アマチュア漫画家の晴れの舞台とも言われる、コミックマーケット(通称コミケ=同人誌漫画の即売会)という催し物について、先生は今回深く言及された。

「今の同人誌は、アニメや漫画のエロチックなパロディ作品が主流です。確かにパロディは、創作に不可欠な要素だと思う。ただ現状として、オリジナルなアイディアだけで勝負する作家は、全体的に減ってきています」
 
 同人誌という活動形態は、同人誌作家・サークルが、即売会にて客から代金を受け取り、作品を譲与している点で商業活動ではあるが、一般の書店に流通する商業誌とは全く異なる表現方法・活動様式が可能であると言える。私が興味深いのは、御茶漬先生が、同人誌を単なるプロ作家への通過点と見なさず、同人誌と言う表現媒体にのみ存在する長所を、現在も見い出している事にある。

「自分の描きたいものを描けているうちはまだいい。アマチュア漫画家の中で、ファンに支持され、生き残ってゆく作家はごく僅かです。僕は漫画を描いていく上で、作品が、読者の人生の糧にならなければ意味がないと考えています」(要約)
 
 大手と呼ばれる同人誌作家・サークルは、作品がパロディ・オマージュに由来するものでありながら、作家自身のカラーやスタンスを、作品中に明確に打ち出している。コミケは、表現欲に満ち溢れた若者の、感性と個我の表出の場、プロである先生自身の感性をも刺激する、アイディアの原石が埋もれた鉱山であると言える。同人誌作家時代を長く経験された御茶漬先生は、その事実を誰よりも熟知されているのではないだろうか。
 hm.gif

「コミケにいる人々を見ていると、毎回違った面白さがあり、面白いエピソードも山ほどある。商業誌の作家になろうがなるまいが関係ない。漫画家にゴールはないんです」

 成熟した芸術家の内部には、クリエイターと監督、両方の視点が共存しているという。若き表現者は、往々にして自己の内部に埋もれた“監督の視点”の存在に気付かず、幸いに気付いたとしても、それを軽視してしまう傾向にある。しかし、クリエイターの視点のみでは、往々にして自意識の袋小路に陥りやすい。プロフェッショナルとは、クリエイターの創り出した未完成品を、監督の立場から補い統括し、一個の完成品へと昇華させる為に必要な、冷静でしたたかな視点を備えた、武道で言う所の、
間合いの達人なのである。

【栗原隆浩】

【参考URLs】

御茶漬海苔の館...御茶漬海苔氏公式ホーム・ページ

ホラーコミック界の巨匠御茶漬海苔の名作「姫」を原案に女性脚本化が競作、現代風にアレンジした1話約25分、前6話のショート・ムービー「姫」公式サイト: http://hime-films.jp

投稿者: 日時: 2004年06月14日 07:49 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年06月24日

中平卓馬 ~記憶喪失からの再生~

nakahira.jpg 今回は、中平卓馬という写真家と、その作品について、スライド上映をまじえて講義が行われた。
昨年の晩秋、横浜美術館において開催された中平の回顧展は記憶に新しい。タイトルは「原点復帰―横浜」であった。

中平は1938年、東京の原宿に生まれた。少年時代は神奈川県(横浜を含む)と原宿を往復するような生活を送った。「原点復帰」というタイトルは、文字どおり横浜が少年時代を過ごした土地であるという意味と、そしてもう一つ、記憶喪失という事故により消えかけた写真家の、新たなスタートを宣言しているかのようだ。

中平は東京外国語大学でスペイン語を専攻した。安保闘争のうねりをくぐり抜け、卒業後『現代の眼』という総合雑誌の出版に携わる。当時の新左翼系に区分されるこの雑誌には、東松照明の写真『I am a king』シリーズなど、政治的に不穏な時代を象徴する作品が連載された。東松の作品に影響を受けた中平は、文章による表現からしだいに写真のほうに惹かれていく。実際にカメラを手にしたことでそれは決定的になる。『I am a king』の最終回では、柚木明というペンネームで自作を発表し、写真家としてのデビューを果たした。デビュー作はマッチ箱のような建物が並んでいる風景を切り取ったモノクロ写真で、金属的なにおいのクールな印象である。

中平卓馬の写真論1965年からフリーの写真家となった中平は、多木浩二(評論)、高梨豊(写真家)、岡田隆彦(詩人、評論家)とともに『プロヴォーグ』なる同人誌を立ちあげた。ここで中平らは、映像としてのラジカルな表現を提唱した。いわゆる「アレ」「ブレ」「ボケ」というそれまで否定されてきた写真の技法を積極的に取り入れたのである。

『プロヴォーグ』は3号を世に送り出して力尽きたが、中平はまもなく『来るべき言葉のために』(1970、風土社)という写真集を発表する。事物を断片的に切り取った粒子の粗い写真は、パッと見ただけでは何を写したのか分からないものもあり、ページをめくると何が出てくるのか分からないスリルもある。物質化された都市の孤独が浮かび上がってくるような、人を物として見ているような無機質さ。「今見てもなかなかカッコイイんですよ」と飯沢先生は目を細める。


スタイリッシュに構成されたこの写真集は、都市化していく時代の気配のなかに中平自身の気分が多分に投影されている「私写真」である。「私写真」とは、被写体に「私」の肉体を投影する、つまり「私」の思想や身体性が「私」の見た風景や事物に浸透しており、それが写真を見た人に伝わるような表現方法である。被写体にたっぷりと私情を託すこの方法を、中平は、「現実の世界を私物化し、ポエジーの世界に逃げこんでいる」と批判し、のちに全否定することになる。

中平が自らの方法論を翻した背景には、時代の変容があった。政治の時代は終焉し、そのかわりに都市を覆っていたのは醒めた「しらけ」の空気だった。「ブレ」「ボケ」の手法もポピュラーになり、広告に使われるなど消費の一端に過ぎなくなっていく、そんな情況に耐えられなかったのだろう。1973年『なぜ植物図鑑か』(晶文社)という変わったタイトルの評論集を出した中平は、プロヴォーグ時代から一変し、図鑑としての写真に固執しはじめる。

「写真は想像でもなく記憶でもなくドキュメントである」と断じ、情緒的要素を排除した「事物が事物であることを明確化する」だけの写真は、「あらゆるものの羅列、並置」である植物図鑑を目指しているといえる。中平は言う、「悲しそうな猫の図鑑というものは存在しない」。つまり、悲しそうな猫は撮る側の感情移入によって悲しそうに見えるだけなのだ。感情移入を受けた猫は悲しそうな猫として写真の中に存在する。それを見た人は悲しそうな猫だと思う。しかし悲しいという感情は猫にあるのではない、撮る人間の感情が猫に投影されただけなのだ。それが私写真であり、現実の世界を私物化する行為なのである。中平はこれを一蹴した。自分の写真を特徴づけていた「情緒的な私」の要素を抹殺しようとし、自らを追い込んでいったのである。
nakahi.jpg
 それは自己否定の試みでもあった。今でもこの試みに取り憑かれた写真家は少なくない。飯沢先生いわく「中平の呪縛」である。私の創るものから「私」を排除することは、情緒的自己の存在を否定することでもある。これは苦しい。本人もそうとう葛藤があったらしく、それまでの写真を焼き捨てる場面を篠山紀信に撮影させたりしている(『決闘写真論』1977 朝日新聞社)。さらに同年9月、決定的な事件が起こる。急性アルコール中毒で倒れた中平は、目覚めたときに記憶を失っていたのである。

 飯沢先生は、その後の彼の軌跡をこんなふうにおっしゃっていた。「かつて詩人か写真家かで迷ったほど言葉を構築する才能があった。記憶喪失になってからは、以前ほど明瞭な言葉が出なくなりました。で、回復の過程で写真を撮り続けた。写真が回復の手助けをしたのかも知れない。全身小説家というのがいたけど、彼はまさに全身写真家です。生活そのものが写真になっている」

 1983年に出た『新たなる凝視』(晶文社)で写真家としての再デビューを果たすが、この時点ではまだ中平のスタイルは一貫していない。1989年『Adieu a X』(河出書房新社)にもいくらか逡巡がある。2002年『hysteric six Nakahira Takuma』で現在の表現スタイルが決まったようである。

 齢七十を迎えんとする今の中平が撮る写真とは? 飯沢先生はそこに映しだされた風景や事物を、「赤ん坊が初めて見る世界」と表現する。被写体はありふれたもので、猫や鳥などの小動物、路上生活者の寝姿、植物が多い。凝った構図も奇をてらった手法もない。「そこにあるものをそこにあるように写しているだけ」である。しかし中平の視線は被写体に真っ直ぐ向かっており、いささかのぶれもない。一切の不純物を排除し、焦点を当てた事物のみを、ここぞという瞬間にすっぱりと切り取りおさめる。その純粋で強いまなざしは、一枚の写真に驚くほどの広がりを与えている。

スライドの画面が、鮮やかな色彩に溢れた写真を映しだしていく。猫の写真があった。「ただの猫ですね」飯沢先生は言う。「猫としかいいようがない猫だ。」間違っても悲しそうには見えない、だが細部までみずみずしい生命力の漲りを感じさせる。「事物の輝くばかりの表層」が中平の写真にはきっちり詰まっているのだ。

【寄稿者 菊地】

投稿者: 日時: 2004年06月24日 16:57 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年06月27日

渡辺やよい氏「到達感なきエロス」

yayoi250.jpg
本年度4月より、日芸所沢校舎にて開講されている文芸特別講義1、前期講師陣の取りを務められるのは、レディースコミック(通称レディコミ)誌上でご活躍される女流エロ漫画家・渡辺やよい先生である。渡辺先生は、その黎明期からレディコミを牽引されてきた、レディコミ界の生き証人でもある。
 
「レディコミ」の代名詞は、ハードなSEX描写を主体とした、エロ漫画にある。レディコミの成り立ちは、20年以上昔に遡る。当時、従来の少女漫画に飽きた女性読者層(主に20代後半以上)に、雑誌が、より刺激的な作品を提供し始めたのが、成立の由来だという。近年では、レディコミというジャンルの成熟と、条例によるエロ描写規制に伴い、エロ漫画ではないレディコミ作品も登場する様になった。
 
 

ladycomi200.jpg
渡辺先生は、レディコミの仕事に関わる以前から、自作漫画中に、SEXや妊娠といった、漫画のセオリーではタブー視される傾向にあるモチーフを、無意識の内に描いてきたという。

「私が最も表現したいものは、男女の性であり、エロ漫画。でも、幾ら描いても性に終わりは見えない。描けば描くほど、その先を見たくなる。到達感を見出せないんです」

 1980年代当時、立ち現れ始めたレディコミというジャンルに出会い、編集者に執筆を依頼された時、先生は、これぞ私の求めていた芸術表現の方法であると確信されたという。

「私の描きたいものが、ことごとくエロである根拠は何だろう?・・それを探っていけば、幼い頃の体験に遡る。私の実家は客商売をやっており、家に様々なお客が来ました。幼い私はおのずから、彼らと接するようになっていた」

 先生は、自身がここまで「性」というものに惹かれる根拠が、まだ幼なかった頃、店に訪れた男性客に見せられた、男女の営みの様々な資料にあったことを告白された。声を振り絞り、切々と語られる先生の言葉は、私にとって重く、貴重なものだった。

「女はスケベなんです。私の漫画の主な購買層でもある、女性の読者にとっても、鬱積した妄想を開放し発散させる場として、エロ漫画としてのレディコミは、まだまだ必要とされると思う。それを描いてる私自身は、最近やっと、過去の体験を人に喋れるようになった」
 
 表現する喜びは無論ある、しかし、むしろ自分は、何かに復讐する様に突き動かされるままエロ漫画を描いている、と先生はおっしゃった。それは、幼少の身で、性の現実を直視させられてしまった過去への、驚愕と絶望の嘆きにも似ている。十歳にも満たなかった先生は、自覚のないまま、眼前に広がる男女の営みの中に、太古より不変の、大自然の意思を読み取ってしまったのだ。そこには、幻想や虚構など、もはや介入する余地はない。それでも尚、人間は、幻想を求めねば生きてはゆけないと言うのなら、敢えて、生々しい現実のむこう側に、それらの断片を掻き集めるより他はない。
 
yayoi200.jpg
 幼いながら、既に性の現実を手に入れてしまった渡辺先生は、持つことのできなかった幻想を獲得しようと、エロ漫画を描き続ける以外なかったのではないか。性の幻想への逃げ道を失った渡辺先生は、何かを自らの手で表現しようと試みた時点で、消し去りたかった過去の現実を直視すりより他はなくなったのだ。

 誰の内面にも、持ち主から見放され、ただ静かに発酵してゆくだけの過去が存在している。先生は、失われた幻想を希求する内なる声に、一途に耳を傾け続けたからこそ、今日まで創作を続けることができたのではないか。ふくよかな笑みを湛える渡辺先生の奥底には、今だ獲得することのできない、性の幻想に対する深い渇望が広がっていた。

【栗原隆浩】

投稿者: 日時: 2004年06月27日 05:57 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Copyright (C)文芸学科 授業レポート.