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2004年07月19日

志賀公江氏「血と毒」

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私は何故、芸術という言葉の響きに魅せられ、文章を書き続けているのだろう。
 
 歩みを止め、佇むとき、私は決まって、ギリシャ神話の鳥人・イカロスのことを考える。彼は、周囲の人々にとっては信仰の対象に過ぎなかった、太陽という存在の実存を解き明かそうとして失敗し、挫折と孤独の中、空から失墜せざるを得なかった。私のやっている行為は、イカロスの直面した現実から目を反らし、その結末を忌諱しているに過ぎないのか。
 
 蝋で固められた羽根のように、自分の背中に括り付けられたその儚げなる「芸術」を、私は不意に、打ち壊してしまいたい衝動に駆られる。破壊され、粉々に砕け散った芸術の破片を、私の足は執拗に踏み付け、蹴り飛ばす。だが、暫くすると、私は踏みつける足を止め、再びそれら残骸を組み立て始める。蝋の羽根であれ、より強く補強し、羽ばたき続ければ、いつかは実物の太陽に到達できると考えた、夢想家イカロスの如く。
 
 2004年7月12日。今回は、前期を通じて文芸特別講義のチーフ講師を務められた、志賀公江先生による締め括りの授業が行われた。「漫画と表現規制」というコンセプトのもと、前期は計6名の特別講師の先生が、表現者のたまご達の前で、表現と芸術論を語られたことになる。

 
 

本年度前期、当講義のアシスタントを務め終え、各先生方のお話の中で、一貫して私の印象に残ったのは、表現規制が授業テーマだったにも関わらず、先生方が皆一様に、規制を前提にして創作論を語られたのではなく、むしろ、形なき自らの表現欲やエネルギーを、執筆する中、漫画作品(主に代表作)の上に、文字通り吐き出した過去を語られたという事実だった。

「漫画家ってのは、今あるもの、既製品・レディーメイドに満足できない人種なんだと、分かって貰えたと思います。恋愛と一緒で、最初から規制の中で上手く立ち回ろうなんてのは十年早い。まずは全部毒を吐いてみなさい。それで痛い目見ようが、自分自身の毒を吐き出せた作品が、結果として良い作品になるんです」(要約)志賀先生は、迫力ある口調でおっしゃった。

 私は、例によりイカロスの神話を始め、人力飛行に携わった、東西の先人達の歴史を回想していた。イカロスとライト兄弟。漫画家の先生方に聞いたなら、彼らはどちらの生き方を支持されるだろうか。
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 私には確信があった。先生方は、イカロスの方法論を支持されるに違いない。何故なら、ライト兄弟の成した偉業は、例え彼らが成し得なくても、やがては科学の発達と共に、必然的に後世の誰かが成した筈だからである。

 一方、イカロスのエピソードが、痛ましい悲劇として今日まで伝えられると同時に、我々がその姿に、何処か詩的な、表現者の姿を投影するのは、蝋の羽根をまとった彼の姿に、美的シンパシーを感じているからに他ならない。イカロスの生涯は、航空力学史の観点からすれば無駄そのものであり、故に美しく儚い。

 彼は何故、大気の流れに身を任せ、空へと舞い上がらなければならなかったのか。イカロスが、死をも予期せぬ、単なる軽薄者だったとは思えない。イカロスは、太陽を単なる信仰の対象として見ることに飽き足りなかったのではないか。己が血のざわめきに従い、彼は、禁断であった太陽の実存へと手を伸ばした。そして、イカロスの太陽への飛翔は、死によって幕を閉じられる。だが、我ら現代人は、過去から受け継がれてきた価値観を喪失した後も、しぶとく生き、描(書)き続けなければならない。


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「私にしかできない、私のやるべき仕事がある。もし、私がストリッパーになるのなら、公序良俗に反するストリッパーになりたい。自分の逮捕歴を誇れるようなね」血が躍らなければ、表現者の道などには足を踏み入れなかった、と志賀先生は言われた。
 
 血の流れは、空気の流れに似ている、と感じる。絶えず流転し、一定の法則を見い出されることを嫌う。だが、敢えてそこに法則性を当てはめるとしたら、移動し、漂泊するゆえの、決して永遠なる具象は現存しないという、万物の豊かなる柔軟と、不確実性がうかがえる。自らの血の流れに耳を傾け、そのまつろわざる主張を汲み取り、一見矛盾ではあるが、それをある形式として具象化することに成功した者こそが、表現者と呼ばれるに値する。

 大国の正義も、愛も、死も、リアリティも芸術も、もはや空虚な詭弁にしか聞こえない現実が、目の前に横たわっている。現代のイカロスは、蝋の羽根が溶け、地上に墜落しても尚、死ぬことすら許されない。自らの手で、かけがえのない価値を獲得し、構築していく時代を、我々は生きている。

【栗原隆浩】

日時: 2004年07月19日 01:32 | パーマリンク |TOPページへ   ▲画面上へ

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