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2004年10月14日
しりあがり寿先生 第一回講義

「こういう形での講義は初めてなので・・・」
大勢の学生の前で、やや緊張気味のしりあがり先生。自己紹介から始めますね、と黒板に向き直る。チョークを手にするやいなや、目にもとまらぬ速さで素描する。あっという間に、鉄腕アトムやウルトラQが黒板に踊っていた。
1958年、静岡に生まれた。幼稚園の頃に鉄腕アトムが、小学2年のときにウルトラQが世に出る。ほどなく怪獣ブームとなり、ウルトラマンやバルタン星人が日本中の子供たちを魅了した。70年には大阪万博が開催。同じ年にビートルズが解散したのも、当時12歳だった先生には大きな事件だったらしい。
中学校時代は特撮に興味を持つ。父親が家具屋だったため、バイクの後ろに乗ってよく工事現場に連れて行ってもらったそうだ。高校では美術部に入学。熱中したのはもっぱら漫画で、山岸涼子などの少女漫画も好きだったという。ここで瞳キラキラの少女が黒板に描かれ、学生達の笑いを誘っていた。さすがにどのイラストも、即興で描いたとは思えない上手さである。
高校卒業後は、漫画家、映画監督、イラストレーター、CMディレクターなどになりたかった。絵が好きだったが、いわゆる画家向きではなかった。要するに人気者になりたかったんだよね、と笑いながら仰る。芸大を受験するも失敗。そこしか受けなかったので、仕方なく一年間、土方などの肉体労働にいそしんだ。翌年、多摩美術大学に入学した。
大学生として過ごした70年年代後半、世の中に大きな動きがあった。音楽ではパンク、テクノなどのニューウェーブが台頭し、一部の若者のファッションに大きな影響をもたらす。美術では、写真のような精巧な実写が評価される一方、いわゆる「ヘタウマ」の概念が生まれ、誰にでも描けそうで描けないオリジナルな表現が支持されていく。
「大学では変な人が多くて、どうやってみんなをアッと言わせるかみたいなことばかり考えてましたね」個性的な友人に囲まれ、自由な感性を磨いていったが、「卒業したら働かないと食っていけない」と、キリンビールに入社した。
会社では、パッケージデザイン、CI、宣伝を手がける。どの仕事も面白く、結局13年間キリンビールに居続けた。勤務の傍らこつこつと漫画を描きため、85年に『エレキの春』を出版する。時代は「ヘタウマ」から「シュール」へ向かっていた。吉田戦車などが出てきた頃である。
36歳が転機となった。このまま勤続すれば管理職という時期だったが「部下を怒れないんだよね。恨まれそうで」という理由で昇進を断念、漫画で独立しようと決意し、辞職する。一時期は有限会社を設立して収入を補いつつも、しりあがり寿という漫画家の名は、瞬く間に世の中に浸透した。独特の作風で数々の賞を受賞し、その知名度、人気は今や揺るぎないものになっている。
さて、そんなすごい先生がどんな授業をやってくれるのか、学生達の興味津々な期待に先生は丁寧な答えを用意して下さっていた。
「6回の授業で何をやろうか、ずいぶん考えたんですけど、どう描くかよりも何を描くかについての授業にしようと。どう描くかっていうのは、キャラクターとかストーリーとか具体的で技術的なこと。何を描くかっていうのは、テーマとか、自分の描きたいのはギャグかホラーかという、描くときのモチベーションになるものです」
何を描くか、を考えるにあたって必要な条件は3つだという。
1つは、経済性。つまり売れるかどうかということ。「これで食っていかなきゃいけないから、売れることは大事です。でも、売れれば何でもいいかといえばそうでもない。売れるというのはイコール大半の人に分かる、ということで、世の中の大半の人には理解力やセンスが欠けているからです」
芸術的価値の分からない多数派の人々を、子どもに置き換えてみよう。子どもは常に甘いモノをほしがる。甘いモノを与えていれば彼らはゴキゲンなのだ。その人達が喜んで受け入れる作品ばかりを量産し続けるのは、子どもに甘いモノを欲しいだけ与えるのと同じ側面がある、と先生は仰る。
「あるいは、バカ、としちゃう。酷いよね。でも、そういう人達をとりあえずここではバカとしましょう。バカでない人が、沢山のバカのためにバカでもわかるものを作る。ずーっとそれが続くどうなるか? バカがバカでなくなるチャンスが永久に失われる。さらにバカでない人までも、売れるためにバカに同調していく。世の中バカがドンドン増えていく。これを僕はバカのサイクルって呼んでます」
2つ目は、社会的価値である。例えば、誰もやったことがないものをやる。その時代、その社会が必要としているテーマを表明する。売れることとは別にそういう作品を作ることも重要である。社会的価値のある作品は、ヒットするかわりに何々賞を受賞したりして評価されることが多い。
3は、「これが一番大切なことなんだけど」と先生が強調する、自分にとっての価値、である。自分が描きたいかどうか? 売れなくても評価されなくてもまだ描きたいか? 表現への根元的な欲求の強さは、そのまま描くことへのモチベーションへと昇華する。まずこの衝動がなくてはならない。売れるとか、社会的価値云々は二次的な問題である。

「それぞれ得られるものは違います。1は、お金。2は…、リスペクトかな。3は、心の平安。この3つが揃うのはなかなか難しいよね」とりあえず、どれか一つの条件を満たせば人は描き続けられるものなのだ。
次回から、しりあがり流の講義が本格的に開始される。キリンビールでの消費者リサーチのノウハウを生かし、それぞれテーマごとに学生にアンケートをとり、各自で統計、分析、ディスカッションを試みる予定だ。最終回はゲストを招く。次回からの展開が楽しみである。
過去の関連記事
漫画家、しりあがり寿氏
投稿者: 日時: 2004年10月14日 11:33 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年10月22日
水口哲也先生 第一回講義
10/14 水口哲也先生 講義内容
前回までのしりあがり先生はしばらくお休み。今回と次回は、ゲームクリエーターとして活躍されている水口哲也先生をゲストに迎える。

水口先生は1990年に文芸学科を卒業、ゲーム会社SEGAに入社した。13年勤続し、多くの重要なプロジェクトに関わっていくなかで、独自の理論を固めてきた。去年から独立し、ますます多忙な日々を送られている。
在学中は、メディア美学を中心に学んだ。それをゲームの演出論や製作論に展開していったという。
「メディア美学のなかで、ひとつ忘れられない言葉に遭ったんです。これまでの僕の活動の基本にもなっているんですが」
その言葉とは、カナダのメディア学者M・マクルーハンの「すべてのメディアは、人間の感覚の延長線上にある」。
たしかに、メディアに限らず、人間の生み出した道具はすべて感覚や身体機能の延長線上にあるといっていい。車は足だし、テレビは視覚である。だがメディアの発達につれ、ハード面はマクルーハンの言葉が当てはまるものの、ソフト面ではそうはいかなくなってきた。ハード面とはメディアにおける物体で、テレビの受信機やゲーム機の本体といったもの。ソフト面はコンテンツとも呼び、テレビであればプログラム、ゲームであればゲームソフトというように、中身や内容を指している。
長年コンテンツの製作を手がけてきた水口先生は、こう断言する。「全てのコンテンツは、人間の欲望、欲求、本能の延長線上にある」。
コンテンツはエンターテイメントであり、基本はいかに人を愉しませるかという点にかかっている。作り手からいえば、いかに人間の欲望、欲求、本能を再デザインするか?ということだ。ちなみに、entertain という動詞には、人をもてなすという意味もある。コンテンツにも、もてなし感が重要だと水口先生は仰る。それはユーザーを楽しませたい、喜ばせたいという作り手の心意気といえるだろう。水口先生はつねにその心意気を持って果敢に実践し、大きな成功をおさめた方である。
90年代は、SEGAの中で、映画やミュージックビデオなど映像としてのCGの製作に携わった。その後リアルタイムのCG、つまりゲーム製作に進むが、当時(およそ11年前)のCGの技術は、アニメーションの技法をそのまま取り入れたものであった。アニメーターが1枚1枚描き、それをプログラマーが組み立て、リアルタイムのアニメーションに仕立てていたのである。
ここで、94~95年に製作された「SEGAラリーチャンピオンシップ」というゲームと、その進化の過程をDVDで見せていただいた。発売当初は、映像に張りぼて感があり、画面上の動きもぎこちない。96年にはCGの技術革新があり、かなり滑らかで自然な動きになる。98年には、実際にバイクに乗っているような感覚を味わってもらおうと、プレイヤーが座るサドル付きのものが発売された。これが評判になり、ゲームセンターで大ヒットする。
「それまではずっと、生理的なエンターテイメントを目指してました。バイクに乗ってる感覚とかは体感的な気持ち良さですよね。でもここでふっと考えた。ゲームで人を感動させられないか? と。ゲームで人を泣かせたり笑わせたりはできないものかと。感覚の延長線上だけではあきたらずに、他の要素を加えたくなったんです」

そんな逡巡が、ゲームセンターから家庭用ゲームソフトの製作に移る動機となった。ゲームに感動の要素を盛り込むということで思いついたのは、歌、踊り、ストーリーといったミュージカルの構成要素である。こうして「SPACE CHANNEL」の製作が始まった。
構想は、持ち込みのCGからヒントを得た。宇宙放送局の人気レポーターの女の子(名前はうらら)を主人公に、ビデオクリップの感覚で、映像と音楽を一体化させる。97年に作られたそれを実際に見せてもらうと、主人公の女の子の感じが良くなかった。水口先生が仰るように「クールを目指しているのはわかるんだけど・・・、裏目に出ちゃっていますね。女性受けも悪かった」のだった。
そこで、改良すべくさまざまな試みがなされた。カギは、プレイヤーの感覚をチアーする(励ます、高揚させる)要素を盛り込むことだった。具体的には、多数の女性にインタビューし、好ましいうらら像を探った。パントマイムをしているアーティストを講師に呼び、社内でワークショップを開いた。
「なぜパントマイムかというと、人を感動させるメカニズムを解明するためです。たとえば、誰でも笑わせられる方法はあるか? 逆に誰でも恐怖させられる方法は? 答えは、あります。これもワークショップで体験してわかったことです」

笑わせるには、いったん場に緊張感を生ませることが重要だ。たとえば目の前の人が急に動作を停止する。そのまま30秒も静止すると、見ている人は「いったいこの人どうしちゃったの?」と不安になり、緊張してくるだろう。そこで突然、笑いが発生する。場の緊張をほぐすために、生理的必然性に伴って発生する笑いだ。
誰でも恐怖させる方法は、たとえば大勢が、一人を標的にして憎しみの目で睨みながらじりじりと近寄っていく。標的にされた人は、必ずもの凄い恐怖感を味わうという。
「僕が言いたいのは、人を感動させるメカニズムは存在するんだ、と言うことです。物事には必ず理由がある。人の感情が動くにも必す何らかの理由が存在している。作り手は、そのメカニズムを知る必要があるんです。」
ただし、感情のメカニズムに沿った商品が必ずしもよく売れるとは限らない。ヒットという現象を生むには、時代の波長に合っているかどうかという、もう一つの条件が存在するためだ。「SPACE CHANNEL」は、そこそこ売れたが予想を超えた大ヒットにはならなかった。しかし、海外のMTVがうららのキャラクターを使用したいと申し出るなど、多方面での反応は良好だった。
「今日の僕からのメッセージは、全てのコンテンツは、人間の欲望、欲求、本能の延長線上にある。人を感動させるメカニズムは存在する。という2点です。次回はRezというシューティングゲームの製作過程を見ていきたいと思います」
教室いっぱいの学生たちの眼が輝いた。製作されたゲームソフトよりもさらに、水口先生はその存在感で人をチアーさせる方であった。
投稿者: 日時: 2004年10月22日 17:35 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年10月29日
水口哲也先生 第二回講義

ゲーム好きの方なら、少し前に発売された「Rez」というシューティングゲームをご存じだろうか。シューティングゲームとは、目の前にパッと現れたものをかたっぱしから撃って得点にしていくゲームである。人間の反射神経という、極めてプリミティブな本能をデザインしたつくりで、根強い人気を保っている。
「Rez」は、SEGAが構想から完成までおよそ3年を費やしたアート性の高いゲームである。アメリカよりヨーロッパで売れたという事実も、「Rez」の特性を表わしているかもしれない。
プロジェクトの中心人物は、水口先生である。ぎりぎりまで妥協を排しつつ、完成まで10人あまりのスタッフを引っぱり続けてきた苦労は、相当なものだったという。
反射神経を満たすだけでは物足りない、というのが出発点だった。何か他の要素をプラスした、新しいゲームにしたい。ヒントはケニアにあった。ケニア人の間でよくするというゲームの映像を見せてもらった。若者たちのグループが酔っぱらったように歌い踊っている。
「始めは皆が集まって普通にしゃべっている。いつのまにか手拍子が始まり、次に踊り出すヤツが現れる。すると誰かが掛け声をかけて、それに反応して歌が始まる。これをコール・アンド・レスポンスといいます。誰かがコールして誰かがレスポンスする」
コール・アンド・レスポンスが幾重にも発生するとどうなるか? その場にいる人々の感情が、まとまりつつうねりを帯びてスパイラル状に引き上げられていく。このような状態を英語ではインターアクティブと呼ぶ。例えばクラブに集う若者たちの様子を思い浮かべて欲しい。集団陶酔といったらいいのか。グルーヴ感がその場を満たし、皆が気持ちよくそれに浸っている。

「このグルーヴ感をゲームに落とし込めないかと思ったわけです」
次のヒントはスイスのクラブで見つけた。ガンガンに響くテクノ。音と光と色が、あたかも洪水のように押し寄せ、その場をのみこむ。音には色があり、光にも色があるということを知った。そこで行き着いたのは、画家V・カンディンスキーの「シン・シナスティジアム(共感覚)というコンセプトである。
「カンデンスキーは音楽を聴きながらキャンパスに向かったそうです。音が色を連想させる、その働きを使って描いたのが彼の絵です。筆の動きもリズムも、音から連想していく。そういう感覚が我々には備わっている。じゃあこれをシューティングゲームに置き換えてみよう、と」
しかし、実現は困難をきわめた。モノをつくるには、それがどのようなモノかをまず言語化できなければならない。だが人間の生理的な気持ちよさやグルーヴ感というのは、言葉で説明できない感覚だ。
「なぜ説明できないのか、理由を探すところから始めました。といっても理由の究明が目的ではないんですね。僕たちがやったのは、具体的な体験を1つ1つ積み上げていくこと。あるシチュエーションを設定し、人間ってこういうときはこうするものなんだ、ということを体験的に知る。それしかないんです」
体験の集積から、シチュエーションとアクションのパターンを割りだしていく。気の遠くなるような作業である。
「実際の製作に至るまでの段階をプレ・プロダクションというのですが、これに2年から2年半かかりました。その間は正直、自分自身でもがいてましたね。スタッフの中にはしびれを切らして、もうこれでいっちゃいましょうよ、と言うヤツも出てくる。でもここで妥協すると、ゲームデザインの基本がなってないまま製作になだれ込むことになる。それだけは避けたかった」
ゲームデザインの基本は、映画制作にたとえれば脚本のようなもの。ホンが確定していない段階で撮影に進めば、多くの作品は頓挫し、失敗作となる。人間でいえば、骨。骨の脆い人間は、いくら筋肉を付けたところで骨折はまぬがれない。
「ゲームでも、いくらビジュアルや音楽がよくても、骨がしっかりしていないと楽しさの限界が限られる。ある程度は良い気持ちになれるけど、その閾値が低く設定されてしまう。だから基本ができるまではデザイナーには一切デザインさせなかったし、音楽のほうも手をつけなかった。中途半端に形が出来てくると、一番大事な基本型がわからなくなっちゃうんですよ」
苦労の末、原型が完成。そのあとは早かった。10ヶ月の製作期間を経て、「Rez」は世に出る。製作に入ってから、新たに加えた要素もあった。音と光に、振動をプラスさせたのだ。こうして、目と耳と体で体感できるゲームが登場した。
試作第一号は椅子にバイブレーダーを付けたが、コストがかかりすぎた。最終的に、コントローラーにバイブレーダー機能を付加することで落ち着いた。プレーヤーの手から振動が体全体に伝わるしくみだ。その振動は画面上の動きや音と合致しており、これまでのゲームよりワンランク上の臨場感を味わうことができる。
「商品開発は、人間の欲望をいかに再デザインするかにかかっているわけです。それにはまず人間の欲望がどういうものかを知らなければならない。どうやって知るかというと、体験するしかないんです。そして体験したものを流さないこと」

水口先生は、ゲームづくりのために自分の感情を仔細に検証していた時期があるという。何故そのような感情が起こったのか? まず理由を考える。映画を見て感動すれば、言葉で表現して書き付ける。感情という曖昧なものは、言葉にすることである程度整理できる。大事なのは「ああおもしろかった」「怖かった」で済ませないことだ。
「今はちょっと疲れちゃったのでやってないんですけど、でもこれはお薦めですよ。もしこの授業でレポートを出してもらうとしたら、テーマは『自分の人生の中で最も感動した体験を1つ挙げ、それをきわめて客観的に分析しなさい』にしようかと思ってます」
人生の中で最も感動したこと。私の頭のなかに様々な画面がシーンが浮かぶ。あれか、それともあれかな、しかし一番感動したこととなると・・・。
「課題、ほんとに出すかわかりませんよ。たぶん出さない。だって一番感動した体験ってなかなか他人に伝えられないものでしょ。そんな大事な体験を預かるほうも大変だし、そんな責任僕には持てないと思うし」
学生たちはややほっとした様子だ。しかし、日常生活のなかでいちいち感情を分析するのもかなり疲れる作業だろう。ゲームクリエーターという職種の奥深さをあらためて知らされた。時代を読む感性と、緻密に構築された理論、ビジネスとしての計算と交渉力、さらにチームをまとめる協調性とリーダーシップ。水口先生はそれらをまんべんなく備えておられるように見受けられる。
「みんな将来はものをつくる人になりたいんだよね?」
先生の問いかけに、曖昧に頷く学生たち。現実は厳しそうである。
水口先生の次回の講義は11月になる。学生たちも参加して、ワークショップのようなものを行う予定だという。 (10/21)
投稿者: 日時: 2004年10月29日 11:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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