2004年10月29日
水口哲也先生 第二回講義

ゲーム好きの方なら、少し前に発売された「Rez」というシューティングゲームをご存じだろうか。シューティングゲームとは、目の前にパッと現れたものをかたっぱしから撃って得点にしていくゲームである。人間の反射神経という、極めてプリミティブな本能をデザインしたつくりで、根強い人気を保っている。
「Rez」は、SEGAが構想から完成までおよそ3年を費やしたアート性の高いゲームである。アメリカよりヨーロッパで売れたという事実も、「Rez」の特性を表わしているかもしれない。
プロジェクトの中心人物は、水口先生である。ぎりぎりまで妥協を排しつつ、完成まで10人あまりのスタッフを引っぱり続けてきた苦労は、相当なものだったという。
反射神経を満たすだけでは物足りない、というのが出発点だった。何か他の要素をプラスした、新しいゲームにしたい。ヒントはケニアにあった。ケニア人の間でよくするというゲームの映像を見せてもらった。若者たちのグループが酔っぱらったように歌い踊っている。
「始めは皆が集まって普通にしゃべっている。いつのまにか手拍子が始まり、次に踊り出すヤツが現れる。すると誰かが掛け声をかけて、それに反応して歌が始まる。これをコール・アンド・レスポンスといいます。誰かがコールして誰かがレスポンスする」
コール・アンド・レスポンスが幾重にも発生するとどうなるか? その場にいる人々の感情が、まとまりつつうねりを帯びてスパイラル状に引き上げられていく。このような状態を英語ではインターアクティブと呼ぶ。例えばクラブに集う若者たちの様子を思い浮かべて欲しい。集団陶酔といったらいいのか。グルーヴ感がその場を満たし、皆が気持ちよくそれに浸っている。

「このグルーヴ感をゲームに落とし込めないかと思ったわけです」
次のヒントはスイスのクラブで見つけた。ガンガンに響くテクノ。音と光と色が、あたかも洪水のように押し寄せ、その場をのみこむ。音には色があり、光にも色があるということを知った。そこで行き着いたのは、画家V・カンディンスキーの「シン・シナスティジアム(共感覚)というコンセプトである。
「カンデンスキーは音楽を聴きながらキャンパスに向かったそうです。音が色を連想させる、その働きを使って描いたのが彼の絵です。筆の動きもリズムも、音から連想していく。そういう感覚が我々には備わっている。じゃあこれをシューティングゲームに置き換えてみよう、と」
しかし、実現は困難をきわめた。モノをつくるには、それがどのようなモノかをまず言語化できなければならない。だが人間の生理的な気持ちよさやグルーヴ感というのは、言葉で説明できない感覚だ。
「なぜ説明できないのか、理由を探すところから始めました。といっても理由の究明が目的ではないんですね。僕たちがやったのは、具体的な体験を1つ1つ積み上げていくこと。あるシチュエーションを設定し、人間ってこういうときはこうするものなんだ、ということを体験的に知る。それしかないんです」
体験の集積から、シチュエーションとアクションのパターンを割りだしていく。気の遠くなるような作業である。
「実際の製作に至るまでの段階をプレ・プロダクションというのですが、これに2年から2年半かかりました。その間は正直、自分自身でもがいてましたね。スタッフの中にはしびれを切らして、もうこれでいっちゃいましょうよ、と言うヤツも出てくる。でもここで妥協すると、ゲームデザインの基本がなってないまま製作になだれ込むことになる。それだけは避けたかった」
ゲームデザインの基本は、映画制作にたとえれば脚本のようなもの。ホンが確定していない段階で撮影に進めば、多くの作品は頓挫し、失敗作となる。人間でいえば、骨。骨の脆い人間は、いくら筋肉を付けたところで骨折はまぬがれない。
「ゲームでも、いくらビジュアルや音楽がよくても、骨がしっかりしていないと楽しさの限界が限られる。ある程度は良い気持ちになれるけど、その閾値が低く設定されてしまう。だから基本ができるまではデザイナーには一切デザインさせなかったし、音楽のほうも手をつけなかった。中途半端に形が出来てくると、一番大事な基本型がわからなくなっちゃうんですよ」
苦労の末、原型が完成。そのあとは早かった。10ヶ月の製作期間を経て、「Rez」は世に出る。製作に入ってから、新たに加えた要素もあった。音と光に、振動をプラスさせたのだ。こうして、目と耳と体で体感できるゲームが登場した。
試作第一号は椅子にバイブレーダーを付けたが、コストがかかりすぎた。最終的に、コントローラーにバイブレーダー機能を付加することで落ち着いた。プレーヤーの手から振動が体全体に伝わるしくみだ。その振動は画面上の動きや音と合致しており、これまでのゲームよりワンランク上の臨場感を味わうことができる。
「商品開発は、人間の欲望をいかに再デザインするかにかかっているわけです。それにはまず人間の欲望がどういうものかを知らなければならない。どうやって知るかというと、体験するしかないんです。そして体験したものを流さないこと」

水口先生は、ゲームづくりのために自分の感情を仔細に検証していた時期があるという。何故そのような感情が起こったのか? まず理由を考える。映画を見て感動すれば、言葉で表現して書き付ける。感情という曖昧なものは、言葉にすることである程度整理できる。大事なのは「ああおもしろかった」「怖かった」で済ませないことだ。
「今はちょっと疲れちゃったのでやってないんですけど、でもこれはお薦めですよ。もしこの授業でレポートを出してもらうとしたら、テーマは『自分の人生の中で最も感動した体験を1つ挙げ、それをきわめて客観的に分析しなさい』にしようかと思ってます」
人生の中で最も感動したこと。私の頭のなかに様々な画面がシーンが浮かぶ。あれか、それともあれかな、しかし一番感動したこととなると・・・。
「課題、ほんとに出すかわかりませんよ。たぶん出さない。だって一番感動した体験ってなかなか他人に伝えられないものでしょ。そんな大事な体験を預かるほうも大変だし、そんな責任僕には持てないと思うし」
学生たちはややほっとした様子だ。しかし、日常生活のなかでいちいち感情を分析するのもかなり疲れる作業だろう。ゲームクリエーターという職種の奥深さをあらためて知らされた。時代を読む感性と、緻密に構築された理論、ビジネスとしての計算と交渉力、さらにチームをまとめる協調性とリーダーシップ。水口先生はそれらをまんべんなく備えておられるように見受けられる。
「みんな将来はものをつくる人になりたいんだよね?」
先生の問いかけに、曖昧に頷く学生たち。現実は厳しそうである。
水口先生の次回の講義は11月になる。学生たちも参加して、ワークショップのようなものを行う予定だという。 (10/21)
日時: 2004年10月29日 11:03 | パーマリンク |TOPページへ ▲画面上へ
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